おひつじ座
どこまでが我?
春望
今週のおひつじ座は、「国破れて山河在り/城春にして草木深し」という漢詩のごとし。あるいは、公事を自分事へと結びつけていくような星回り。
おそらく日本で、もっともよく知られている漢詩の一つであるこの一節は、杜甫の「春望」すなわち‟春の眺め”というタイトルの作品の冒頭部分にあたり、日本が太平洋戦争に敗戦した際にもよく新聞などに引用されたのだそう。
しかし、「敗」と「破」とでは決定的にその意味は異なり、杜甫の生きた唐は他国との戦争に敗れたのではなく、内乱によって国家機能が破綻していたのです。
さらに言えば、当時の「山河」とは国を守るための要塞のことで、杜甫はここで本来守られるべき「国」が破壊され、守り手のはずの山河が無傷でそのまま残っていることを皮肉なことだと嘆いているのでしょう。 同様に、城(「まち」の意)に春が来ても、草木だけが茂っていて、人々の心は沈んだままだと畳みかけていくのですが、ここで詠まれた唐の様子はどこか今の日本にも重なるところがあるのではないでしょうか。
20日におひつじ座に太陽が入って春分を迎えていく今週のあなたもまた、軟禁された春の日の杜甫のように、いよいよ切迫していく事態や状況を、どれだけ自分の事として受け止めていけるかが問われていきそうです。
締めくくり方こそ大事なれ
杜甫はこの詩を「白頭かけば更に短く/すべて簪(しん=冠)にたえざらんと欲す」という一節で終わらせていますが、いわばこの締めくくりの一節によってこそ、いつまでも人々の心に残るような詩となっているように思います。 「簪」すなわち冠とは役人の象徴であり、乱れた世を元に戻すための事業へ参画するため、早く仕事に戻りたいという杜甫の思いを表しているのです。
しかし、「白頭かけば更に短く」とあるように、年老いた自分にはそれさえもかなわぬのかという嘆きと、いやそんなことはないはずだ、という祈りが同時にかけられているのではないでしょうか。
でも歯が抜けて物が満足に食べられなかったとか、最後は安らかに逝きたいという個人的な愚痴や願望で終わったならば、この詩のスケール感はずっと小さいものとして尻つぼみに感じられたはずです。
今週のおひつじ座もまた、ひとつ自分の終わり方まで思いを広げていきたいところ。
今週のキーワード
哀切