おひつじ座
行きつ戻りつのその先へ
現況としての「地の島」
今週のおひつじ座は、柳田國男が『海南小記』で触れた「地の島」のごとし。あるいは、大陸の論理から少しずつ決別していくような星回り。
九州東海岸沿いを大分から大隅半島まで南下しつつ、さらに奄美・沖縄諸島・宮古・八重山列島そして最後に与那国島へと旅した記録をもとに書かれた紀行論集である『海南小記』の中で、柳田は特に九州南部の浦々について「地の島」というイメージを浮き彫りにしました。
これは海岸から見て少し離れた沖に浮かんでいることで人間の注視を集め、水神が祀られたり、夕日に映える姿が愛でられたりするような「沖の島」と対になっている言葉で、海辺の山がわずかに崩落しただけの陸の"おまけ”として、ほとんど人間に省みられることのない付随的な存在として見なされてきた訳です。
ただ、面白いのは柳田がそうした「地の島」がのちに周囲の川が運んできた泥によって再び陸と繋がったり、あるいは逆に崩落が進んで沖に動いて沖の島になったりといったケースに注意を向けつつ、陸と海との臨界に幾通りもの転変のあり方を想像しているところ。
いわば、沖の島やそのさらに先に連なっている大洋島(過去に大陸と地続きになったことがない洋上の島のこと)や孤島の手前に「地の島」はあり、行きつ戻りつしながらも徐々に大陸から離れていく過程の最初のステップを柳田はそこに見たのでしょう。
そしてこうした「大陸」と「地の島」の関係を、かつての大和朝廷などに象徴される一つの勢力や論理に支配され、呑み込まれ統一されていった人々と、そこから何らかの形で離脱し決別していった人々のあり方と重ねていく時、そこには今のおひつじ座が目指すべき方向性もまた浮き彫りになってくるはず。
「浦」としてのおひつじ座
今週は17日にやぎ座で満月を迎えていきますが、やぎ座はおひつじ座から数えて10番目の位置関係にあり、これは「使命」や「社会的役割」を意味します。
黄道12宮の先頭にあたるおひつじ座というのは、よく向こう見ずで一本気な単純な性質を持つなどとも言われがちですが、実際にはそうではありません。
例えば古代のレリーフなどを見ていくと、おひつじが必ず頭を後ろに振り返らせるようにして描かれていることが分かりますが、これは生と死との、そして彼岸と此岸のたえざる反転について古代人が幻視していたことの証しなのです。
そしてまた、柳田の見てまわった「浦」というのも、単に海の入江をさす地理的概念であるばかりでなく、そうしたおひつじ座的なモチーフの一つと言えるのではないでしょうか。
ウラは「浦」とは別に「裏」とも書き、それは物事の見えない側、本質が宿された部分であり、心中の微妙な機微をあらわす音でもありますが、今週のあなたは、そうした「浦」というもののより大きな連続性の感触を再発見していくことになるかも知れません。
今週のキーワード
幾通りもの転変のあり方を想像していくこと