みずがめ座
静かに滑るように
「惜しむ」と「離れる」
今週のみずがめ座は、「朝の舟鶏頭の朱を離れたり」(大串章)という句のごとし。あるいは、惜しみつつ離れる。そんな別れの景色を豊かに味わっていこうとするような星回り。
まるで1枚の絵のような光景です。朝もやであたりが白に染まっているなか、滑るように静かに舟が岸を離れていく。なんとなく振り返ってみると、岸部には「鶏頭の朱」だけがぼんやりと浮かび上がっている。
日中だったり、近くで見ている分にはひどく暑苦しく感じられる鶏頭の花も、離れゆく景色のなかではどこかひんやりとしていて上品に見えてくるから不思議だ。
同様に、人間というのも一定のラインを越えると色々と余計な部分まで見えてきてしまうものですが、距離をおいていく別れにおいては、逆に色々な部分を大目で見るようになり、美しさが別れの一瞬のうちに引き出されていく。
私たちは普段、あまりにもディティールで相手を裁きがちなのです。今週あなたはそんな引き際や別れの瞬間に潜んでいる豊かさに改めて気付いていくことができるでしょう。
「みずから」と「おのずから」
別れが豊かであるとき、その別れはじつに自然なものであるはずです。
ここで「自然」という言葉について考えてみると、もともとは名詞ではなく、明治期以前は副詞や形容詞として用いられていました。その際に鍵となるのが「自」という漢字であり、以下2つの解釈があります。
①みずから:自発的に、自分の意志で
②おのずから:自然発生的に、ひとりでに
これは、①自発性と②内発性と言い換えてもいいかもしれません。
自発性というのは、結局、「そうすることでメリットがあるから」行われる際の原動力となっているものですが、内発性は、そういう損得勘定のレベルでの自分の為というところを越えたところで、内側からなんとなく湧いて出て来るもの。
ただし、ここで言いたいのは内発的であることがよいことで、自発的であるのが悪いこと、ということではありません。
つねに両者が綱引きしあい、「あわい」のところでこそ、人間の想像力というのは働き、目に見えないエネルギーの流れと一体化していく実感がどれだけのものかは、その働かせ方次第なのです。
両者に偏ることなく、滑らかに流されていくことを大切に。
今週のキーワード
別れは決して悪いものではない