みずがめ座
もうひとつの現実を夢みて
美しいか、そうでないか
今週のみずがめ座は、「暴王ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな」(葛原妙子)という歌のごとし。あるいは、歴史や定説からこぼれおちた現実を拾いあげていくような星回り。
歴史上でも指折りの暴君として名高いローマ帝国第5代皇帝ネロは、最後は逃亡先でのどを剣でつらぬいて自刃した。作者はそのネロの最期を、「柘榴を食ひて」という異説でふたたびベールに包もうというのだ。その方が、美しいだろうと。
これは定説なるもの一切に対する挑戦であり、かつそれはいかなる意味においても具体的な方法によって為されなければならない、という確固とした信念の表れでもあろう。
正しいか、正しくないかではなく、美しいか、そうでないか。それでこそ、定説や固定観念は塗り替えることができる。
そのことを今週はよく胸に刻んでいくことになるだろう。
異質文明を夢みて
稲垣足穂が「水晶物語」の中で、
「何にしても人間よりは樹木の方が偉い。樹木よりも鉱物、それも水晶のようなものがいっそう偉いのだ。人間も早く鉱物のようになってしまったらよかろう。」
と書いていました。確かにそういう眼で人間を眺めていると、ごく稀に、鉱物のようにドキリとする妖しい輝きを放つ人間の存在に気が付きます。
そうした鉱物人間は、全く異質の文明の可能性を夢み、信じさせるだけの磁力があります。
そしてその磁場に吸い込まれていくとき、人間の最も深い感情である憧れの想いがそっと引き出されていくのです。おそらく、そんな時の人の目は、闇夜に一夜の夢を浮かばせるサーチライトの綾を織り出さんと、ピカピカに発光していることでしょう。
「鉱物に較べると、大方の生物はまるで泡だ、と私は思っているのです。」
この点では、葛原も同意してくれるはずです。
今週のキーワード
普遍的な美しさ