みずがめ座
鳥と卵
空を飛び我を導くもの
今週のみずがめ座は、「天空に白き球ある焚火かな」(渡辺松男)という句のごとし。あるいは、不思議だなあとつぶやきながらも、導きに従って歩を進めていくような星回り。
野暮を承知でいってしまえば、「白き球」とは冬の太陽のこと。ただ、確かにそのはずではあるのだけど、どこまでも不思議な「白き球」でもあるのだ、というところに掲句の味わいがある。
また、さかんに燃え上がる「焚火」は、生きている実感の比喩とも受け取れるが、たちのぼる炎と煙は「白き球」と「焚火」とを繋げているようにも思える。
これと同じようなことは、人間関係などでも言えるかもしれない。
ただの友人であるはずなのに、知り合いにすぎないのに、恋人ではあるけれど、どこかそうした世俗的な条件付けを超えて、こちらの心の奥深くに響いてくるような感じというものが確かに存在する、というか。
いずれにせよ、そういう感覚を引き起こす相手というものに、私たちは時おり出会ってしまう。そして、そうした出会いの後には、必ず普段なら思いもしないような言葉や行動が自分の口や手足からぽろりと生まれてきたりもするものだ。
自分の中にも、あの人の中にも、どんな人のこころの中にも「白き球」は存在する。今のあなたには誰のどんな姿が思い浮かぶだろうか?
卵からの再生
「白き球」と言えば、卵のことも思い出さずにはいられない。
たとえばキリスト教の復活祭では、彩色した卵が自然の周期的な再生のシンボルとなります。
また古代ギリシャの一都市では、墓地から片手に卵を持ったディオニュソス像が大量に発見されたように、卵は古来より生命のシンボルとして、生への復帰の欲望や、無限の再生サイクルを暗示してきました。
ハンプティ・ダンプティが塀から落ちると王の部下や騎兵がいくら集っても彼を元通りにすることはできないのは、彼が卵だからにほかなりません。そして、人もまた、人生もまた、時にそのような卵に成り得るのだ、ということを今週あなたは実感していくことになるでしょう。
あるいは、もし実際にはそうならなくても、「いつでもその可能性があるのだ」ということを直感的に理解することで、目に鮮やかな新たな生の地平が開けてくるかもしれません。
今週のキーワード
アニマ・アニムス