みずがめ座
沈黙と歓呼のあいだ
復讐の女神たちを鎮めるために
今週のみずがめ座は、「エウ・フェーミアー」という言葉のごとし。あるいは、ここぞという場面でこそ「何を言うか」より「何を言わないか」に集中していくような星回り。
この言葉は、古代ギリシャ語で「よき前兆を告げること」「吉兆の告知」といった意味で使われる一方で、「畏れ慎んで黙ること」「沈黙」の意味を持っていました。
例えば、アイスキュロスの悲劇『オレステイア』の最終部「恵みの女神たち」の大団円の場面では、復讐の女神たちがその憤怒をなだめられ、今後アテネに移って恵みの女神になることを約束し、それを市民たちが老若男女問わず、歌い舞いながら歓迎するのですが、その祝祭の行進の場面で、先導の者たちが女神たちに次のように出発を促すのです。
―さて、お越しを、荒ぶる女神がた、夜より産まれた産まずの御子たち、賑わい競う楽の音に送られて、どうかお立ちを。喜んでお伴をつとめましょう。
静粛にされよ、国びとら。
―地の下の聖なる奥処にあって、礼拝と供物を手厚く享けられることになりましょう。
静粛にされよ、街びとあまねく。(古井由吉訳)
ここで「静粛にされよ」と訳された箇所が、先の動詞「エウ・フェーミアー」の命令形であり、<畏れ慎んで沈黙せよ>とも、<神聖な沈黙を守れ>とも訳せるのですが、さらにこの言葉には<吉兆に応えて歓呼する>という意味も持ち、恐らくこれら3つは挙げた順に意味を変化させていくのでしょう。
つまり、ここではまず<沈黙>こそが神託=ビジョンを招きもたらし、吉と出るか凶と出るかの分岐の上で普通なら声をあげてしまいがちなところを、じっと耐えてできる限り平静を保つことこそが、人間が守るべき自分の分をこえてしまう<傲慢(ヒュブリス)>を抑える唯一の方法だったのかも知れません。
同様に、10月17日にみずがめ座から「言葉の使い方」を意味する3番目のおひつじ座で十三夜の満月(リリース)を迎えていく今週のあなたもまた、また肝心な場面でこそ沈黙を守れるかどうかが問われていくことになるでしょう。
初々しさが大切なの
何かあればSNSで自分の声や意見を発信したり、自分を害する相手を誹謗中傷したりすることがあまりに当たり前になってしまった今の社会にあって、「沈黙を守る」ということほど難しい挑戦はないかもしれません。
そして、その意味で茨木のり子さんの『汲む―Y・Yに』という詩もまた、定期的に思い出しては暗誦しておきたい作品の一つであり、今週のみずがめ座にとって確かな指針となっていくはず。
以下、その一部を引用しておきます。
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
みずがめ座の今週のキーワード
ぎこちない挨拶、失語症、震える琴線