みずがめ座
ウブと書いてありがたき不思議と読む
「今・ここ」の積極的な肯定
今週のみずがめ座は、『徒然草』の「つれづれ」という言葉遣いのごとし。あるいは、今ここに在ることができる不思議に感じ入りつつ、ゆらゆらと動いていくような星回り。
倫理学者の竹内整一は『やまと言葉で哲学する―「おのずから」と「みずから」のあわいで―』の中で、吉田兼好の『徒然草』に垣間見られる死生観について触れて、次のように書いています。
兼好は、死とは、いつか来るというものではなく、「かねて後に迫れり(すでに前もって背後に迫っているものだ)」(一五五段)と言う。それゆえ、「思ひかけぬは死期なり。今日までのがれ来にけるは、ありがたき不思議なり」(一三七段)と説くのである。
兼好は、だからこそ、その日その時を楽しんで過ごせ、と言うのである。「つれづれ」とは、無目的ということであるが、たんなる暇つぶしの意味ではない。その日、その時を何か今あること以外の目的のためだけに費やして生きることの否定であり、今ここでしたいと思う事をするという「今・ここ」の積極的な肯定のすすめなのである。
兼好にとっては、この眼前の日常現実は、それ自体、本来ありえなかった「ありがたさ」の折り重なりとして感受されていたのである。
日々自分が生かされて在ることに感謝していく際にも、こうした「本来ありえなかった」という前提に立つことは不可欠な観点ですが、改めて兼好がその上での「『今・ここ』の積極的な肯定」を「モチベーション」などのいかにも他人事然とした白々しい言い方ではなく、あえて「つれづれ」という力みの抜けた軽い言葉で表わしたことは、日本文化最高の到達点の一つと言っても過言ではありません。
6月21日にみずがめ座から数えて「美学」を意味する6番目のかに座に太陽が入っていく(夏至)今週のあなたもまた、「つれづれなるままに」ひとり筆をとるなり、誰かのために骨を折るなり、ただボーっとするなりしてみるといいでしょう。
「吟行」に出かける俳人のように
吟行とは、俳句の題材を求めて景色のいい場所へ出かけて、その場で何句かを作っていくこと。よく「文は人なり」とも言いますが、例えば山や湖などの大自然に触れてそれを言葉にする際にも、私たちは自然を通して人間を、そしてあくまで自分を通して心のなかに映しだされる景色を見ていきます。
つまり、ただ名所・旧跡のような“いい素材”を得たからといって、いい俳句ができるとは限らないのです。そのためか、吟行で作られた作品でいいなと感じるものは、大抵どこかひっそりとしていたり、あるいは、余計なこわばりのない、あっさりとした印象のものが多いように思います。
それは、人の目にどう映るかはともかく、自分としては一番ウブな気持ちになって、そういうウブな気持ちのなかにあざやかにみえた風景を17文字で切り取っているからでしょう。
そして、そういう一句を自分の作品としていく上で一番大切なことは、「平凡さを恐れない」ということなのではないでしょうか。今週のみずがめ座もまた、そんな「吟行」に臨んでいるつもりで過ごしていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
「思ひかけぬは死期なり。今日までのがれ来にけるは、ありがたき不思議なり」