みずがめ座
おぞましさへの感性
かなしくてかなしくて
今週のみずがめ座は、『蝸牛(かたつむり)交(つる)めば肉の食ひ入るや』(永田耕衣)という句のごとし。あるいは、想像の限界の外にある不気味な現実に突き当たっていくような星回り。
昔から子どもが口ずさむわらべ歌にも登場してきたかたつむりは、ちょっと見る分にはかわいらしいのですが、改めて仔細に観察していくと、そのぬるぬるした体や動きはもちろん甲殻との融合具合も、どこか合成獣感のある不気味な存在であることに気付かされます。
掲句は、その肉と肉とがつるむときには一体どのようになるのか、という人があまり想像したくないような絶妙にイヤなところを突いて、読者に問いかけているように見えるのです。
おそらく、この作者はかたつむりという存在のかなしさを詠うと同時に、人間のかなしさを詠んでいるのでしょう。これがもし他の動物や家畜などであれば、「交めば肉の食ひ入る」のは当り前のことですが、かたつむりだからこそどこか恐ろしく、おぞましいのです。
そして、あらゆる存在のなかで最も恐ろしく、おぞましいのはやはり生きた人間に他なりません。その意味で、6月14日にみずがめ座から数えて「盲点」を意味する8番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、作者の問いかけに自分なりに全力で答えてみるといいでしょう。
内なる攻撃性や無感覚の自覚
作家の村上春樹は、2020年7月10日に毎日新聞で配信されたインタビューの中で、次のような危惧について口にしました。
特にこういう一種の危機的状況にある場合には、例えば関東大震災の時の朝鮮人虐殺のように、人々が変な方向に動いていく可能性があるわけです。そういうのを落ち着かせていくというのはメディアの責任だと僕は思うし。
昨今のSNSなどでも顕著なマイクロアグレッションに限らず、世間にはびこっている構造的な差別や、世代から世代へと連綿と受け継がれていく負の連鎖というのは、あるきっかけを得ればすぐに狂暴化します。
私たちはいつだってそういう世界の文脈の中にいるのであって、そうしたいつ起きるとも知れない狂暴化を抑制するのは、村上春樹が警告するように「メディアの責任」であると同時に、読者ひとりひとりが、自分のなかにある攻撃性や無感覚とどれだけ向き合っていけるかにかかっているのだと言えます。
その意味で、今週のみずがめ座もまた、自分の中にある暗い側面の自覚をいかに行動や実践へと繋いでいけるかが問われていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
ハートからハートへの対話か、魂をこそぎ落としあうような共食いか