みずがめ座
系譜の一滴
たとえ私自身は消えたとしても
今週のみずがめ座は、『百年は生きよみどりご春の月』(仙田洋子)という句のごとし。あるいは、自分個人のスケールを超えた生を生きて行こうとするような星回り。
子を産んだばかりの母親の、わが子の無事と成長とを祈るストレートな思いを詠った一句。
かつては100年どころか、今日明日の命を生き延びることを考えるだけで精一杯だった時代もあった訳ですが、現代ではむしろ「百年」という寿命の長さを持て余してしまったり、長きにわたる老後をどう過ごすべきかと途方に暮れてしまっている人も少なくないのではないでしょうか。
しかし、掲句では「百年は」という言い方をすることで、さらに永久にという思いをのせています。そこでは当然、母である自分という存在が残存しているという前提には立っていません。つまり、たとえ自分という存在は消え去ってしまったとしても、あなたがその人生を通して作りだしていくであろう100年後の未来を、誰が何と言おうとも私は、私だけは全面的に肯定し続けるという誓いをここで立てているのです。
それは時を超えて無意識に宿っては、子の意識を根底から支えていかんとする母の愛であると同時に、「百年」というスケール感とともに子の人生を左右し続けるある種の呪文(祝い/呪い)ともなっていくはず。
3月20日にみずがめ座から数えて「情報発信」を意味する3番目のおひつじ座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていく今週のあなたもまた、それくらいの長期的なスケールで付き合っていくことになるであろう言葉や願いを思い定めていくことがテーマとなっていきそうです。
連続する波の一つとして
トルストイは『人生論』という著書の中で、死後の生ということを一生懸命考えているのですが、そこには次のような一文が出てきます。
人間は、自分の生が一つの波ではなく、永久運動であることを、永久運動が一つの波の高まりとしてこの生となって発現したに過ぎぬことを、理解したときはじめて、自分の不死を信じるのである。
普通、死後に残るのはその人の思い出だけですが、トルストイはそうではないと言っているのです。ひとつひとつの「波」はあくまで大きな海潮の一部であり、海流としての自分(世代を超えた働きかけ)という視点で生きることができた場合、その人が死んで肉体は滅びたとしても、世界に対して作られた関係によって、より一層その働きが力強くなることもあるのだ述べています。
こうした視点もまた、ある意味で冒頭の句の解釈に通じていくはず。今週のみずがめ座もまた、自分自身を一つの波であると同時に、より大きな潮の流れとして捉えてみるといいでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
系譜や連続性のなかに自分を見出す