みずがめ座
しぼんだ脳をひらいていく
フリー・コミュニケーション
今週のみずがめ座は、「隣りの家にお醤油を借りにいくことがもっと気軽にできるような社会」という言葉のごとし。あるいは、身近なところからごく弱いコミュニケーションを回復させていこうとするような星回り。
これはもともと元『WIRED』日本語版編集長の若林恵の言葉で、その対極にイメージされているのは地域活性とか地域振興の現場で重くのしかかる「右肩上がり幻想」でした。
若林は『さよなら未来―エディターズ・クロニクル2010-2017』の中でコミニティデザインを生業にしている知人から、「世界遺産登録を受けたところでその近隣のコミュニティが経済的に潤うのは3年くらいで、その後は元通りになってしまうケースがほとんど」という話を聞いて、「だいぶ暗黒な未来図じゃないか」とショックを受けます。この記事の日付は2013年9月ですが、10年の月日が経過した現在でも事情はそう変わっていないのではないでしょうか。
若林は、これといった産業もなく税収もギリギリで持ちこたえているような共同体を、孤立した閉鎖系にしてしまわないためには、地域の人たちがお互いにコミュニケーションできて、助け合えるような場をつくっていくことが大事なのだという話へと一応は落着させていくのですが、ただその際の最大のボトルネックになってくるのが「右肩上がり幻想」であり、これを取り除くことが最初に取り組まなければならないタスクなのだと言います。
そのためにも、人間の身体であれ共同体であれ、末期症状に陥ってしまった際に大切になってくるのは、一発逆転的な奇跡の振興策やカリスマ的指導者の登場などではなく、毎日のちょっとした天気の話や玄関の鉢植えについて会話するようなごく弱いコミュニケーションの回復であり、隣りあう領域の「住人」とちょっとしたものを貸し借りすることが気軽にできる関係を育てていくことなのでしょう。
12日にみずがめ座から数えて「社会的自己」を意味する10番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、地味だったり小さいながらも確実に自分のコミットしている共同体を外へと開いていくことができるかが問われていきそうです。
理解は迂回路をとる
コミュニケーションの横展開と言えばSNSですが、ネット空間でのやり取りというのは、どうしても特定の言葉を抑えれば理解できるという具合に「キーワード化」されていく傾向があります。橋本治によればこうした考え方が浮上してきたのは1980年代半ば頃のことだそうですが、結果的にそれは「ネットで検索すれば何でもわかる」という考え方が普及していくための布石となったところがあります。
最近は政治であれ芸能であれニュースを見ていても、そうしたキーワードだけが元の文脈から切り離されて取り上げられがちですが、そういう物事の理解の仕方に慣れていけばいくほど、それは衆愚政治にいいように利用されるだけでしょう。
ただでさえ何かを「分かる」ということはいくつもの自動ドアをただ機械的に開け続けるようなことではありませんが、権力を持っている側が自分たちの置かれている現実を巧妙に複雑化し続ける今の日本社会において、少なくとも「簡単に分かる」「一枚のパネルで図式化できる」というイージーな謳い文句に飛びつく習慣はまず最初に捨てるべきものであるように思います。
今週のみずがめ座もまた、惰性的な知性の使い方にいかに見直しをかけていけるか、少なくとも最初に選ぶべき選択肢から外していけるかが焦点になっていくはず。
みずがめ座の今週のキーワード
めんどくさくても、意味のありそうなことにはとりあえず泥臭い手段で格闘していくべし