みずがめ座
信じるな、目を開けろ
自由など犬にくれてやれ
今週のみずがめ座は、「自由」より「絶望」を選んでいくこと。あるいは、自分との不協和にこそむしろ人生の通奏低音を見出していこうとするような星回り。
デンマークの哲学者キェルケゴールは「不安は自由への可能性である」と言っていますが(『不安の概念』)、この指摘は現代社会を生きる私たちにとって極めて重要な指摘であるように思います。
というのも、現代社会において「可能性」という言葉はまるで「希望」と同義語のように用いられていますが、キェルケゴールは「可能性」とはむしろ「一切のものが等しく可能的である」という事態において感じられる“困難さ”なのだと考えていたからです。
つまり、「自分には無限の可能性が開かれている」などと言うときの「可能性」とは、誰にも助けを求めることもできず、私だけが今ここで何かをなさざるを得ないという追い詰められた事態に他ならず、キェルケゴールが「不安は自由の眩暈である」と述べるとき、そこではまるで唐突にパックリと口を開けた深淵のように姿として「自由」が出現し、それを凝視せざるを得ない人間の茫然とした姿を思い描いていた訳です。
こうした不安の厄介なところは“克服の道がない”ということであり、キェルケゴールいわく「可能性のなかへ沈みこんだ者は、眼がくらみ、物が見えなくなって、そのため物事の目安(…)をつかむことができない」という絶対的な「沈没」へと陥った者は、そのなかで自分のなしうる能力に絶望し、「それでも、否が応でも行為し、生きざるを得ない」自分との不協和を抱えてくしかないのだと。
そこからどう回復の道をたどっていくかは、今や自由主義陣営の一員である現代日本人に課され課題の1つですが、5月28日にみずがめ座から数えて「変容」を意味する8番目の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えるべく光が戻っていく今週のあなたもまた、一発逆転的な“救い”ではなく、ささやかであっても自分なりの絶望をつみあげていけるかが問われていくでしょう。
自己啓発から哲学へ
現代社会はいま自己啓発の大量消費へと向かっていますが、それは裏を返せば、現代人が「自分には何もない」という虚しさを深く抱えていることの証左でしょう。
より高い能力、より大きな名声へと人々を駆り立てていく自己啓発の言葉は、ほぼ例外なく、より深く自分自身を探っていくことを奨励しますが、社会の流動性がこれだけ高まり、ますます生き残り競争が激化している中でそうしたダイブを促せば、自分に確かな価値や強みを見出すというより、むしろいかに自分が矮小でつまらない人間であるかということを痛感することの方が多いはず。
そもそも自己啓発は、それを構築するロジックを「信じる」ことを人に要請しますが、「自分には何もない」ことにうすうす気付いている人ほど、まともに考えることを放棄して信じ込もうとするのではないでしょうか。その方が、自らの価値や他者との繋がりを実感していくのに「役立つ」からです。
こうした虚しさの根源にある「不安」は、働き方がより曖昧になり、AIが本格的に人間から仕事を奪っていくようになる近い将来へ向け、ますます深く大きなものになっていきます。そして、そこから抜け出していくための鍵は、結局「自分こそが正しい」という思い込みを否定し、自分の外側に広がる真理=絶望に目を開いて、そうした個人的な真理の断片を積み上げていくことにあるのではないでしょうか。
その意味で、今週のみずがめ座もまた、「信じるな、目を開けろ」という言葉を、どれだけ実践できるかがテーマとなっていくはずです。
みずがめ座の今週のキーワード
オープン・ユア・アイズ