みずがめ座
理屈の捨てかた
いずれ春永に
今週のみずがめ座は、百閒の借金術のごとし。あるいは、ロジックだとかエビデンスだとかがバカバカしくなるような屁理屈を並べ立てていこうとするような星回り。
作家の内田百閒は「用事がないのに出かける」旅の電車賃の工面について、『阿房列車』の中で次のように語っていました。
一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。
では、どんな借金ならいいのか。百閒は借金の本筋は旅費に限るとして、その理由を「こちらが思いつめていないから、先方も気がらく」だからと説明しつつ、こう付け足します。
ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云う事である。それを思うと面白くないけれど、今思い立った旅行に出られると云う楽しみは、まだ先の返すと云う憂鬱よりも感度の強度が強い。せめて返済するのを成るべく先に延ばす様に諒解して貰った。じきに返さなければならぬのでは、索然として興趣を妨ぐること甚だしい。いずれ春永にと云う事になって、有難く拝借した。
思いつめて借金することほどつまらないものはない。どうせなら愉しいことを思い描いて、それを人に説明してから「有難く拝借」しようではないか。
それはそのまま、3月21日に春分、そして22日にみずがめ座から数えて「コミュニケーション」を意味する3番目の星座であるおひつじ座で新月を迎えていく今週のあなたに言いたいことの要点でもあります。
飄々とするにもコツがいる
人間どうしても、苦労してやり遂げたことなどがあると、それにいつまでも固執してしまうものですが、もし3、40代になっても20代のときの自慢をしているとすれば、それはもうとうに時間が止まってしまっている訳です。かといって、あんまり過去を否定するのもかえって執着をうみますし、そういう塩梅というのは意外と誰も教えてくれません。
その点で見事だったのが、ギター演奏家で作家としても成功した深沢七郎でした。彼は42歳のときに民間伝承の姥捨て伝説を題材にして書いた処女作『楢山節考』で、当時の有力作家や辛口批評家たちに衝撃を与えたのですが、後年、彼は自身の出世作でもある同書について次のように語っていました(対談相手は文芸評論家の秋山駿)。
深沢 『楢山節考』がいいなんていう人が今まででありましたけどね、若い人で、二十歳位の人で、そんな人はろくな人間じゃないですね。あのもうこの間もそういうの来ましたよ。一年ばかり前に、『楢山節考』がよかった、そして何かサインしてくれって来たんですよ。それで、あんたはばかだなあ、あんたは仕事嫌いで、理屈ばっかり言って、親の銭ばかりたかるんじゃないの、って言ったら、そいつは正直な男でね。そうです、そうですと言いましたね。そんなような人間がね、『楢山節考』はいいですねと言いますね。今まで、過去そうだったから。まあ四十、五十位の人だったらね、まあその人なりのよさが、いいなっていうけど、そんな二十位でもって、十七、八でいいなんていうのは、少しどうかしてますよ。
秋山 でも、それは、だから、あの小説がいいから、若い人もわからなくても好きだから読む。
深沢 若い人がいいって言うのは、私は、どうもあてになりませんね。理屈言いで、うまいものでも食って、年中遊んでいたような人がいいなんて言う。『楢山節考』という小説はうまいものを食ったというあとあじの感じのする小説ですね。
こういう正しくもっともらしい理屈を信じていないところなんかは、先の百閒にも通じるところがあったように思います。今週のみずがめ座もまた、彼らのような飄々とした言葉遣いの塩梅を自身の指針にしていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
正しさでは人は救われない