みずがめ座
過去現在未来を整える
確信を待つということ
今週のみずがめ座は、『再びは生れ来ぬ世か冬銀河』(細見綾子)という句のごとし。あるいは、自分自身への問いかけに不思議と力がこもっていくような星回り。
これがもし「再びは生れ来ぬ世や」だったなら、よくありがちな感慨にふけった常識的な詠嘆句となったところですが、「か」は単に素朴な心情の吐露を述べるものではなく、そこからさらに一歩踏み込んで念を押し、深い納得を促していくもの。
つまり、いま現在と同じいのちをもって地上に戻って来ることは決してありえないのだということ自分によく言い聞かせた上で、だからこそ今ここで、眼前にあるものとの交わりに本気で臨んでいかなければならない、と自分に向けて断言している訳です。
さながら、『ドラえもん』でタイムマシンに乗って過去の、すなわち子ども時代の自分自身に「もっとよく勉強するように」と言い聞かせにきたのび太君のようでもあります。
もちろん、普通ならそう言われたからと言って素直に改心するはずもありませんが、冴え冴えと地上に迫ってくるかのような「冬銀河」を前にするとき、いま現在の自分に問いかけてくるもう一人の自分のうちに、死者のまなざしを重ねていくことでしょう。
1月22日に自分自身の星座であるみずがめ座で新月を迎えていくべく次第に月を細めていく今週のあなたもまた、中途半端な言語化をいったん呑み込んで、深い確信がおりてくる瞬間をじっと待っていくべし。
第三の自分の自覚
もうひとりの自分、それは自らの欲望の形であり、この世に生み出された欲望は自分なりの考えや意志を持って、ときにあなた自身から大きく遊離していくことがあります。
多くの文学作品でも登場してくる「もうひとりの自分」について、精神分析学者のオットー・ランクなどは「死の不安」と密接に関係していると解釈していますが、果たしてそこで死の危機に瀕している自分とは、一体いかなる自分なのでしょうか?
例えば、先の「冬銀河」を背負い、死者のまなざしを宿した自分自身とは、かつて経験したあらゆる記憶を網羅している「自身の過去」そのものであり、ともすると今後の起こりうる出来事への期待と不安でいっぱいになっている「自身の未来」とセットとなっているのかも知れません。そうであれば、いわば掲句は新旧の自分の交代劇とも読める訳です。
そこでは死んでいく古い自分と、生を得始めている新しい自分がいて、その交代劇をどこかで受け入れつつ見つめている第三の自分が存在することになります。
今週のみずがめ座もまた、そんな風に何かしらの新旧交代が慎ましやかに進行していき、それに応じて次第にあなたの中の自覚も深まっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
複数のわたしをとりまとめていく