みずがめ座
老いとケジメ
復活の目覚め
今週のみずがめ座は、『いちまいの動いてみせし落葉かな』(井原三郎)という句のごとし。あるいは、風を得てまどろみから醒めていくような星回り。
すっかり枯れ果て、かすかな風にも反応し、カサカサと音を立てて地上を引きずられている1枚の落葉について詠んだ一句。しかし、これはただそれだけの句ではないでしょう。
幼くして片眼を失明、21歳で全盲となりながらも、絵画への情熱を捨てきれず、やがて独自の手法を編み出して作品を世に問うていった実の兄に捧げた句集に収録されたこの句は、「動いてみせし落葉」のなかに、そうした兄の諦めの悪い手つきを見ていたはず。
老いてすっかり折れ曲がり骨が浮き出た手は、さながら若き日に何かを得ようとして得られず、もはや塵となる運命をただ待つだけのようにも見えますが、それでも時おり風を得ると地面に爪を立てて起き上がろうとする。作者はその一瞬の光景を、決して見逃さなかったのです。
その意味で、23日にみずがめ座から数えて「無意識的動き」を意味する12番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、作者の見出した諦めの悪さをどこかで見習っていくべし。
「年寄る」と「年取る」の区別
江戸時代の三大俳人の一人・与謝蕪村は、芭蕉などと違ってだいぶ遅咲きの人でしたが、実際「年寄る」という言葉を明確に「年取る」という言葉と区別して使っていました。
人間、何もしなくてもみな平等に年は取るものですが、「年寄る」とは文字通り、年が自分に寄ってくるように、仕事であれ旅路であれ恋の道であれ、ひとつの境地を深めていくことを言ったのです。
例えば、旅と言っても今はカジュアルになりましたが、江戸時代の旅というのは、原則的に徒歩であり、肉体的にも極めて負担が重く、一度旅に出てしまえば二度と同じ場所に戻ってこれる保証はありませんでしたし、年齢を重ねれば重ねるほど、「次が最後の旅になる」という予感がのしかかってくるものでした。
蕪村は俳句もまた「次で最後かも知れない」という思いで詠んでいたのでしょうし、それこそ、掲句の作者の兄の諦めの悪さの秘密だったのではないかと思います。
今週のみずがめ座もまた、自分なりのケジメの付け方を貫徹していくためにも、真剣に向き合うべきものに「年寄る」ための契機を確保していくといいでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
風を得る