みずがめ座
親ガチャを超えて
不確かで、疑惑ある、神秘
今週のみずがめ座は、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉のごとし。あるいは、訳の分からないものを訳のわからないままに留めていこうとするような星回り。
26歳の若さで病没した19世紀前半のロマン派詩人ジョン・キーツは、近年は「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を初めて使い始めた人物としても知られています。もともとは詩人が身につけるべき能力として提唱されたこの能力について、キーツ自身は次のように述べています。
詩人はあらゆる存在の中で、最も非詩的である。というのも詩人はアイデンティティを持たないからだ。詩人は常にアイデンティティを求めながらも至らず、代わりに何か他の物体を満たす。神の衝動の産物である太陽と月、海、男と女などは詩的であり、変えられない属性を持っている。ところが、詩人は何も持たない。アイデンティティがない。確かに、神のあらゆる創造物の中で最も詩的でない。自己というものがないのだ。
つまり、アイデンティティを持たない詩人は、それゆえにアイデンティティを必死に模索する。それには不確かさや、神秘的なこと、疑惑ある状態の中に留まり続ける能力を必要としますが、キーツはそれをネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)と呼んだのです。
その意味で、27日にみずがめ座から数えて「他のものの必要性」を意味する8番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、確からしい結論にすぐさま飛びつく代わりに、その手前でまだ何か足りないものがあるという感覚を深めていくべし。
リルケの「立像の歌」
石像が、みずからに「生命」の熱い血が脈打つことを望んだとき、みずからの「生命」を犠牲にして自分をよみがえらせてくれた、だれか。そしてそんなだれかを思って泣く石像。
たいせつな生命をふりすててまで/わたしを愛してくれるのはだれだろう
だれかがわたしのために/海に溺れて死んでくれたなら
わたしは囚われた石からときはなたれ/生命のなかへ/よみがえることができるだろう
石はこんなにも静かだから/わたしはあたたかい血潮にあこがれ/生命を夢みている
ああ、だれか/わたしをめざめさせる/勇気をもつものはいないのだろうか
けれど、わたしが/生命のなかによみがえったなら/わたしは泣くだろう
わたしが捨て去った石を想って泣くだろう
この詩に書かれた「純粋な贈与」と呼ぶべきものは、「自分へのご褒美」などのごまかしによっては決して与えられず、必ず他者から受けとるという形で実現されるものです。その意味で、今週のみずがめ座もまた、自分がすでに贈与され受け取っているものをぼんやりとつかまえていくことを通して、それへの返礼としての自身の営みを再定義していくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
負い目を引き受ける