みずがめ座
見える身体と見えない身体
人為と自然のはざまで
今週のみずがめ座は、『ひんやりとしゆりんと朱夏の宇宙駅』(攝津幸彦)という句のごとし。あるいは、非現実的すぎるのでも現実的すぎるでもない、ちょうどその中間地帯に目指すべき在り方を見出していくような星回り。
「ひんやり」で夏らしい清涼感のある体感と音韻が提示され、さらに続く「しゆりん」で音を踏みつつも、突然音を発して出現してくるイメージとともにずらされて、それから「しゆりん」と「朱夏(しゅか)」でまた音を踏んで夏という季語が出てくる。それで最後は「宇宙駅」というイメージです。
「宇宙」という言葉が出てくる俳句は数多くありますが、大抵は大雑把で薄っぺらな詠嘆に陥りがちなところを、「駅」という一文字をつけることで、途端にどこか銀河鉄道のようなSF的ないし漫画的な別世界が展開されていくのです。しかも、ペタっとした安っぽい舞台背景のような感じではなく、「ひんやり」という体感と共に「しゆりん」という音を伴って出現してくる。
明かな非現実を言葉の力によってきわめてリアルに追体験させることができるのも俳句の魅力ですが、掲句の場合、さらにそこに夏の異称である「朱夏」という言葉を入れることで、絶妙に現実との連続性を保つことに成功している点において、きわめて特異な存在感を放っているように思います。
その意味で、8月5日にみずがめ座から数えて「ロールモデル」を意味する10番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、どこにもなかった、それでいて懐かしさを感じさせるものにおのれを近づけていくべし。
死後存続という伝統観念
「メメント・モリ(死を想え)」というラテン語の諺がありますが、そもそも日本社会は欧米のキリスト教信徒らとは異なり、伝統的に死者を忘れない精神文化を擁してきました。実際、昔の人はみな「神(仏さん)」になってきたのであり、生きている者たちのあいだだけでなく死者たちとも、肉体や魂を超えた精神的連続性を維持してきたのです。
そこで重要となってくるのは、故人が忘れられないよう祭られ続けることであり、先人とその後に続く者の連続性を信じることこそが死者の存在証明に他ならなかったということ。
たとえ、目には見えず分かりやすく存在はしていなくても、そこにあたかも存在しているかのように私たち自身が扱い、振る舞うことで、私たちは民族史上の死後存続、日本人という有機的共同体の一細胞としての実感を得ることができたのではないでしょうか。
ただ、そうした感受性の在り方も、身体のサイボーグ化や精神のデジタル化がすすみ、生と死の境界線がますます曖昧になってきている現代社会においては、次第にうしなわれてきつつあるように思います。
その意味で今週のみずがめ座もまた、自身の隠された連続性を改めて気が付き、感じ直していくことがテーマとなっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
ひんやりとしゆりんと