みずがめ座
手垢のついた現実からの離陸
重力に抗って
今週のみずがめ座は、書法としてのデタッチメントのごとし。あるいは、何をするにもどこに行くにも絡みついてくる既存の文脈から、自身のつむぐ物語を切り離していこうとするような星回り。
かつて村上春樹は、河合隼雄との対話のなかで、29歳になったときに「ある日突然」「小説が書きたくなった」のだとして、それを次のように語っていました。
仕事が終わってから、台所で毎日1時間なり2時間コツコツ書いて、それがすごくうれしいことだったのです。(略)自分の文体をつくるまでは何度も何度も書き直しましたけれど、書き終えたことで、なにかフッと肩の荷が下りるということがありました。それが結果的に、文章としてはアフォリズムというか、デタッチメントというか、それまで日本の小説で、ぼくが読んでいたものとまったく違ったものになったということですね。
自分の表現したいことを表現するために、それまで自分が触れてきた小説と「まったく違った形のもの」を「自分の文体」として作りあげなければならなかった。そのためには、いったん「日本の小説の文体」から離れなければ、その痕跡をこなごなに砕いて、少しずつ消し去っていく作業を行わなければならなかったと。
そうした創作への態度の根底にある衝動について、村上は「ものすごく個人になりたい」とか、「社会とかグループとか団体とか」から「逃げて逃げて逃げまくりたい」、すなわち“世間”から距離をおきたい、離れていたかったという言い方でも言及していましたが、これは今週のみずがめ座にもどこか通底するように思います。
24日にみずがめ座から数えて「既知のネットワーク」を意味する11番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたにとって、そうした村上の初期の創作態度は大いに指針となっていくはずです。
こんな夢を見た
まだみなが当たり前に天動説の世界を生きていた17世紀初め、文字通り天地をひっくり返すような地動説を証明してみせたヨハネス・ケプラーは、天文学者としての業績を重ねる一方で『ケプラーの夢』というSF小説の嚆矢(こうし)とも呼ぶべき作品を書いていました。
この物語の主人公は、日光は嫌うが夜には出かけることのできる精霊の力を借り、フォルファ(地球)からレファニア島(月世界)へ4時間でたどり着き、月から地球がどのように見えるのかを豊かな想像力と巧みな筆致で述べ伝えています。
もともとこの作品は、コペルニクスの地動説を擁護するため、「地球の居住者にとって月の運行がはっきりと見ることができるのと同じように、月面の観測者は惑星の運行を理解することができる」と提唱する学位論文として書かれたものだったそうで、こうした事実はケプラーの地道で忍耐強い学問的業績もまた、非常に先駆的な実験的試みによって支えられていたということを示しています。
とうぜん、29歳で物語を書き始めた村上にとっても、小説はひとつの実験的試みだったはず。今週のみずがめ座もまた、それくらいルナティックになるくらいでちょうどいいのかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
君をのせて