みずがめ座
たんたんとただ歩く
老兵なりの仕方で
今週のみずがめ座は、「老兵が草笛捨てて歩き出す」(竹岡一郎)という句のごとし。あるいは、ただ飄々と、なんでもない旅人のような自分として歩いていくような星回り。
この「老兵」はもはやおのれの欠損や疎外に異常にこだわることもなければ、逆におのれを聖化することもない。果てしない虚無的荒野にひとり取り残された彼は、ただ無心になって草笛をならす。
それで、とうに忘れかけていた少年時代の記憶や故郷の思い出がよみがえったことで、半端に残って軋んでいた自意識もすっと拭い去られたのだろう。
草笛を捨てて歩いていった先にあるのは希望なのか、それとも絶望なのか。終わりなのか、始まりなのか。おそらく、そのどちらでもないだろう。そして老兵はそのことをよく知っている。
しばしば「〇〇の終焉」が語られる昨今だが、歴史における現在というのはいつだってこの「老兵」の立ち位置に近いものだ。
7日にみずがめ座から数えて「決意」を意味する10番目のさそり座で、満月が起きていく今週のあなたもまた、やっとこさここまで来ることができたかという一つの分水嶺を超えていくことができるかも知れない。
羽ばたきか骨休めか
「後ろを振り返っているあいだは、憂鬱で臆病だが、
自己を信じるところでは、未来もまた信じられる。
鳥よ、お前は鷲のたぐいなのか?
それともミネルヴァの寵児のふくろうなのか?」
『喜ばしき知恵』の中でニーチェがこのような断章を書き付けたとき、果たして彼の脳裏にはどんな像が浮かんでいたのだろうか。
まだ真冬の只中にありながら、その眼にはにぶい鉄のような氷の結晶を打倒し、熔かしていく初夏の明るい日差しが見えていたのかも知れない。
もしまだあなたがこれまで歩いてきた道のりを振り返った後、まだ十分ではないと感じているなら、とりあえず歩いていけるところにある次なる目的地を見据えなおし、はじめて地上に降り立った一羽の鳥となったつもりで、その道を歩き始めていきたい。
元来、旅人とはそういうものではないだろうか。
今週のキーワード
足に運ばれる