みずがめ座
先人の響きに和する
レヴィ=ストロースの場合
今週のみずがめ座は、現代文明という巨大な風車に立ち向かうドン・キホーテのごとし。あるいは、時代を超えて響いてくる声を、改めて今の世に聞き届けていくような星回り。
先週、アマゾンの熱帯雨林が記録的な速さで焼失しているニュースが流れました。
その中で、世界最大規模の自然環境保護団体である世界自然保護基金(WWF)は、その多くが「持続不可能な食肉牧場作りに起因する」と警告を発していたという報道を読んで思い出したのは、文化人類学者のレヴィ=ストロースのことでした。
かつて最晩年にあったレヴィ=ストロースは、年齢に比していささかの知性の衰えも見せず、狂牛病の広がりにうろたえていた人々に対して、ますます肉食への偏向を見せる現代人は文明の名のもとに「カンニバル(食人)」である自分たちの本性を隠蔽している。
狂牛病は、そのことに対する恐ろしい警告ではないかと語ったものでした。
彼は人類の思考は、いまだに不可解なままに放置されているその本性に従って運動しているのであり、自分はほんの少しそのことに自覚的であるに過ぎないのだとも度々語っていました。
しかし、そうした謙虚さを剣に「巨大な風車」に、立ち向かえるだけの勇気と知性を持った人間が現代に果たしてどれだけいるでしょうか。
30日(金)にみずがめ座から数えて「みずからに決定的に不足しているもの」を意味する8番目のおとめ座で新月を迎えていく今週は、今こそ立ち返っていくべき先人の教えに触れて、その爪の垢を煎じて飲むくらいのつもりで過ごしていくのでちょうどいいかもしれません。
古典の価値
少し視点を変えてみましょう。
例えば、法事などで耳にしたことはあっても、いつもつい聞き流してしまっているお経というのは、一体何なのでしょうか。
その詠唱に限って言えば、こうも生きてみたかった、ああも生きてみたかった。
そんな累々たる人々の声なき声を、虚実を織り交ぜながら、色とりどりに、あるいは畳みかけるように、ときにくすぐったく、ときに涙をさそるように響かせていく話芸のようなものなのかもしれません。
それがホラではなく、芸であるからこそ、いかに詠みあげるお坊さんがうさん臭い人物であっても、昔の人は黙ってそれに聞き入って、酒を与えもしたのでしょう。
存外、市井の民衆というのは、油断のならない批評家でもありますから、文化や古典として残っているものにはそれなりの理由と価値があるものです。
今週は、何かしら古い文化や古典をひもとき、その響きや波動に触れてみることで、意外な発見や感動があるかもしれませんね。
今週のキーワード
謙虚さという剣を持つ