みずがめ座
炬燵にでも入りながら
やさしいフィクションの必要性
今週のみずがめ座は、熊の習性を知り抜き掟を守って狩りをするシベリアの猟師民のよう。すなわち、神話をつくることを通して癒されていくような星回り。
シベリアの民話などには、人間の女性が森の中でイケメンと出会い結婚した後に、相手が熊だと分かるみたいな話も多いのですが、伴侶が熊だと気付いた後も子を作ったりして、やがて熊の習性を知り抜いた上で人間界に返されます。
熊がどこでエサを捕り、どこで寝ていて、どんな時に隙ができるのかとった猟師の知恵の根幹は、そうした熊と結婚していた女性から聞いた話にあり、猟師は子を孕んだ母熊や子熊を殺してはいけないという「掟」を必ず守ることで、熊から肉や毛皮をプレゼントしてもらう。少なくとも、そういうことになっている。
なぜこのようなフィクションがつくられたのか、という点について、例えば中沢新一は、熊を殺すことに対する衝撃があまりに大きく、ただ狩っているだけでは精神的に病んでしまうからだろうと述べています(『熊の夢を見る』)。
つまり、ただ殺したのではなく、熊を熊の霊の世界に戻しただけで、自分たちは他の動物たちと異質な圧倒的な優位にあって自然の循環を壊している訳ではないのだと確認していくことで、ある種の「癒し効果」を得ていたのではないかと。
みずがめ座というのは、世界を良きものにしていこうと考える一方で、どこか無意識のうちに自分を特別なポジションに置いてしまうところがあります。
今週のあなたはそうした無自覚さにいったん目線をやりつつも、もっとやんわりとこの世界にいられるようなフィクションを取り入れていきたいところです。
無限の身体と有限の身体
まだ自他の区別のない子供は、いわば「無限の身体」を持っています。
風の子となって空を飛んだり、ゴジラと一体となって大暴れしたり、自分が熊になることだってごく自然に受け入れることができる。
ただし、それは一方で常に何か新しいものへと反応し、いちいち注意のほこ先がてんでバラバラなところへ向かうため(赤ちゃんの「新奇選考」)、そのままでは極めて不安定かつ個体として統合ができていない状態でもあります。
それが次第に、自分と環境との境界がはっきりしてきて、自分という存在の輪郭が定まってくると、「身体の有限性」に気付くようになってくる。
つまり、そこに初めて、「自我の芽生え」が起き、やがて身体は固まりどんどん重くなっていく訳です。
今週のあなたは、どこかでそんな自我の芽生え以前の、「無限の身体性」を取り戻していこうとしているのだとも言えるかもしれませんね。
今週のキーワード
フィクションと身体性の深い結びつき