みずがめ座
切実さと祈りの関係
いつか来る日を思う
今週のみずがめ座は、「わたしを離さないで」という声のごとし。あるいは、生きるってそもそも切ないことなのだと、改めて感じていくような星回り。
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の中で、登場人物たちはつねに自分の身体をすり減らしながら「残り時間」、つまり自分の寿命を意識する。
SF的設定の舞台の上で、彼らはあとどれくらい自分の身が「もつ」のかを推し量るのだ。ヘールシャムという校舎で過ごした、自分の子供時代の記憶を反芻しながら。
でも読み進めていく内に、設定の違いこそあれ、この現実世界を生きる自分たちだってまったく同じなのだと気付かされていく。身をすり減らしたり、時間を切り売りしながら、仕事や恋愛や家庭を通して世界に「何か」を提供し続け、やがてこの世界を離れていく。
そのいつかは必ずやってくる訳だけど、普段の私たちはそのことをあまり考えないようにしている。それはもしかしたら、あなたが「死にたくない」とつぶやいた時に、誰もぎゅっと寄り添ってくれないという事態を恐れているからなのかもしれない。
逆に言えば、そうしてそばに寄り添ってくれる人がいるならば、安心してこの世を離れていけるし、大事なものを提供し続けることが喜びになっていく。
今週は、そんな「いつか来る日」のことを思いながら、手繰り寄せられる手を、忘れたくない記憶を、帰りたい場所を、そっと抱え込んでみるといいでしょう。
祈りの積み重ね
あなたが居酒屋のアルバイトであれ、経営者であれ、政治家であれ、自分の住むこの世界の平和とおもうその影響の計り知れなさに大きな差は存在しません。
そうした肩書き以前に、ひとつの生命として大事な要となってくるのは、いちにちいちにち積み重ねていく行為のどこまでが「祈り」であるかどうかです。
祈りと欲望は決定的に異なっていて、祈りとは平和であれ平穏であれ、あくまで自分がそうした事態の一端を責任をもって引き受けたいという意志の現れです。
つまり、自分にとって大切だと思えるものが明確でなければ、自然と祈りから人は遠ざかっていきますし、ましてやあれこれと手を伸ばし過ぎて、本当のところで何が大切なのか分からなくなってしまえば、跡形もなく祈りは生活から消え失せてしまうはず。
今週は自分なりの祈りの形を見直していくなかで、不必要な欲望や過剰な自己防衛から自分を引き離していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のキーワード
寄り添い、寄り添われ、手繰り、手繰り寄せられ。