
おひつじ座
人間みの再発見

踊る阿呆に見る阿呆
今週のおひつじ座は、「ばか正直」なムイシュキン公爵のごとし。あるいは、心に染み入る対話へとそっと誰かを誘いこんでいこうとするような星回り。
人はだれしも、MBTIであれ親や友達からの過去の言及であれ、何らかの形で自分をキャラづけしつつ、それとは別のところに「内なるもう1人の自分」を抱えて尊厳を保っていたり、それを自分でもあきらかにできずに悶々としていたりするものです。
逆に言えば、そうした深層にひそんでいる「内なる人間」はどうしたら引き出されうるのか。ロシアの文芸批評家ミハエル・バフチンは、そんな問いに対して「対話的に染み入るしか道はない」のだと言い、その具体例として、ドフトエフスキーの『白痴』という小説の主人公であるムイシュキン公爵が、「あばずれ女」扱いされている女性ナターシャに対して、次のように話している場面を挙げています。
あなたもまた恥ずかしくないんですか!前からそんな方だったんですか。いいえ、そんなはずがありません!」公爵はいきなり深い心の奥底から責める調子で叫んだ。
ナスターシャ・フィリポヴナは面食らって、にやりと笑った。しかし、その笑いのかげには何かを隠してでもいるように、いくぶんどぎまぎして、ちらっとガーニャに眼をやると、そのまま客間を出て行ってしまった。が、まだ玄関まで行かぬうちに、ふいに取って返して、ニーナ夫人に近づくと、その手を取って、自分の唇に押しあてた。
「あたくしは、ほんとうはこんな女ではございません。あの人のおっしゃったとおりですの」、彼女は早口に熱をこめてそうささやいたが、ふいにさっと顔を真っ赤にすると、いきなり身をひるがえして、客間を出て行った。そのすばやい動作は、ほんの一瞬のことだったから、誰ひとりなんのために彼女が引きかえしたのか、想像する暇もなかった。(木村浩訳)
ナスターシャは異様に男心をくすぐり、虫のように男たちを寄せ集めてしまう女王様のような人物なのですが、ムイシュキンはそんなド派手な彼女の内奥に潜む苦悩の深さに気付き、ぎりぎりの状況で心に染み入るような言葉をかけるのです。みんな彼のことを「ばか」だとナメていますし、彼自身も人の癖を助長するかのように“空白”のような存在となるので、結果的に相手を安心させ、すべてをさらけ出し身を投げ出させてしまうのです。
4月13日におひつじ座から数えて「対話的交通」を意味する7番目のてんびん座で満月(リリース)を迎えていく今週のあなたもまた、みずから率先して「弱き者」や「変わり者」となって、誰かの心のすき間にするりとすべりこんでいくべし。
便利じゃないほうがおもしろい
グローバル経済はAIの導入という後押しを得て、「AIを導入すれば、煩わしい手動作業や人間関係の摩擦を省略し、便利な生活が手に入りますよ」といった消費者への売り込みを劇化させていますが、そうして私たちはなし崩し的に便利さを押しつけられる一方で、その分なんらかの人間としての能力を確実に失いつつあるように思います。
AIが普及して当たり前のように生活に浸透すれば、私たちは「命令すればor呼べば、なんでも応えてやってくれる」ことに慣れていくでしょうし、それは逆に言えば、「言ってもなにもしてくれない」という他者への不満を大きくしていくということでもありますし、必然的に他者との関係そのものが分からないという子供も増えてくるかも知れません。
つまり、AIの普及に応じて私たちが今まさに迫られているAIとの共生には、私たち自身が人間としての能力を保ったり、そもそも人間固有の能力とは何かということを再発見していく必要があり、その前提としてAIと同化してしまわないよう脱AI化を図っていく必要があるのではないでしょうか。
今週のおひつじ座もまた、どういう方向へ自身を教育していくべきか、またしていくべきではないかということを、ひとつ考えてみるといいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
「前からそんな方だったんですか。いいえ、そんなはずがありません!」





