おとめ座
死者を見守る
一度は寄せてやらぬと
今週のおとめ座は、「口寄せ」する巫女のごとし。あるいは、境界線がかき乱されて自分のものではないはずの気持ちや想いがスッ―っと混入してくるような星回り。
民族学者の柳田國男は『先祖の話』の中で、かつて日本には「戦や旅の空で、何の遺言も無しに死んだ者は、一度は寄せてやらぬと唖の子が生まれる」という俗信があったことを報告していますが、引用部分の「寄せる」という語に注目してほしい。
これはイタコに代表されるような口寄せ巫女が、みずからに死者の霊を憑依させてその想いを代弁することを指す言葉であり、旅や移動の途中で行き倒れになったまま死者の霊を放置してしまうと、現世の者になんらかのマイナスの作用を及ぼすということが信じられていたわけです。
現代のように死体や死そのものをすみやかに隠ぺいするシステムの整った社会では、物理的に放置された状態が長期的に続くことはあまりないですが、例えば「事故物件」と呼ばれる心理的瑕疵物件の告知や記録が巧妙に隠され消されていったりなど、いくら時代が変わっても人々の行き交う賑やかさからほんのちょっと外れたところには、無縁者たちの遺体や物語がいくらでも眠っているのではないでしょうか。
一方で、山道や峠、四辻など行き倒れの多い場所を歩いている時に、急にひどい空腹感や虚脱感をもたらすとされる悪霊・妖怪の類いを「ヒダル神(がみ)」と呼んでいたような、
前近代的なリアリティは、ネット怪談や都市伝説という新たな枠組みの中で完全に消えることなく、形を変えて保持され続けているようにも思えます。
その意味で、10月24日におとめ座から数えて「無縁の共同体」を意味する12番目の星座であるしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、一見すると自分とは無関係に思えるような他者への「同情と畏れ」の感情を不意に抱いてしまうようなことが起きていきやすいかも知れません。
天使の“感じ”
90年代前半に放映された岩井俊二監督のテレビドラマ『GHOST SOUP』では、成仏できない霊のために特製のスープをふるまうヘンテコな天使の2人組を、鈴木蘭々とデーブ・スペクターが演じています。
主人公は最後の最後に蘭々の背中に“羽”を発見し、2人が天使だったことを知るのですが、その別れの場面でカーペンターズの『クロース・トゥー・ユー』は流れます。天使たちが坂道をおりていく。主人公は2人を見ている。そしていう。
天使だったら飛んでみてよ!
パタパタと飛ぶ真似をする2人。本来は見守られる側であるはずの人間が、逆に天使を見守る。坂道というシチュエーションで起こったこの逆転現象を祝福するかのように、あの名曲が静かに鳴り響き、低い場所で羽ばたいている天使たち追っていたカメラが一瞬、ほんのちょっとジャンプして、エンドクレジットに入っていく。
ここでは主題歌が余韻を冗長させるのではなく、むしろ視聴者の読後感を洗い流すかのように、きわめて抑制的に使われており、それがかえって清冽な“感じ”を残すのです。
今週のおとめ座もまた、そうした“小さな救済”の感覚にできるだけ忠実になっていきたいところです。
おとめ座の今週のキーワード
供養塔としての大島てる