おうし座
重なる瞬間
一度ついた火は消すな
今週のおうし座は、『かぶせたる落葉を割つて炎立つ』(菅美緒)という句のごとし。あるいは、満を持して自分の‟尻”を燃やしにかかっていこうとするような星回り。
落葉を掃き集めながらの焚き火の光景について詠んだ一句。火の勢いが衰えてきたところに、上から新しい落葉をかぶせる。しばらくすると、中からパチパチと爆ぜる音が聞こえ、落葉のすき間から煙が漏れ始める。そうして、満を持して赤い炎が目に前に現れるのだ。
その瞬間を「落葉を割って炎立つ」という力強い表現によって捉えてみせたところが、掲句の肝と言えますが、決定的瞬間までの時間の溜めをまざまざと認識させられていく様子は、まさに今週のおうし座そのもの。
たかが焚き火となめてはいけない。今のあなたには「落葉」のごとき可燃材料には困っていないはず。それは日常の中で抱いたかすかな違和感であり、気付かないふりをしていた感情であり、やり場を失った思いであり、それらが長年の間に降り積もったものが、今か今かと着火の機会をうかがっている。
ここで言う焚き火とは、いったい何でしょうか。それはどんなに些細なことであっても、「本気になる」ということであり、なにかを「切に願う」ということのように思います。
その意味で、12月1日におうし座から数えて「継承」を意味する8番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、このタイミングで自分なりの焚き火を燃やしてみてはいかがでしょうか。
死者のまなざしが重なるとき
亡くなった家族や先祖の臨在について、よく「草葉の陰から見守っている」などと表現しますが、たとえば、柳田國男の『先祖の話』によれば、そうした日本特有の「あの世」観には4つの特徴があるのだそうです。
1.ひとは、死んだあとでも、この国のなかに、霊としてとどまる。この国から超絶した彼方に往くとは、思っていない。
- あの世とこの世という幽顕二界のあいだの交通が、頻繁におこる。定期的な祭りばかりではなく、死者からも生者の側からも、招き招かれるという生死往還、彼此往来が、そんなに困難なことではなかった。
- 生前の念願は死後にも達成される。だから死者は、子孫のためいろんな計画を立てて、子孫を助けている。
- 死者はふたたび、みたびこの世に再生すると思っていた者もおおかった。
つまり、伝統的に「あの世」とはなにか特別な別世界として考えられていた訳ではなく、それは他でもないこの世を見ている(ただし別角度から)まなざしに他ならないというわけです。
だとするなら、弱まった焚き火の上に落葉をかぶせて、ふたたび火がついた瞬間というのは、ある意味で私たち生者のまなざしの中に死者のまなざしが重なった瞬間でもあるのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、そんな風に死者の存在や彼らなりのまなざしに改めて触れていくことになるかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
火によって浄められる