おうし座
からだを張って問うべし
すべてが疑わしいことへの驚き
今週のおうし座は、「絶対に疑うことのできないもの」を強い欲望をもって探し求めていったデカルトのごとし。あるいは、みずからの人生を支えるに足る“何か”を探していくような星回り。
哲学という営みが驚きに端を発するということは古来から言われてきましたが、近代ヨーロッパ哲学の出発点ともされるデカルトの場合も、学業を修めるべき年限を終え、万巻の書物と向き合い終わった若き日の所感について、後に次のように述べています。
これまでに生を享けた誰よりも優れた精神によって何世紀もの昔から培われてきたのに、それでも哲学にはまだ何ひとつ議論の的にならない、したがって疑わしくないようなものは見当たらない。(『方法序説』)
つまり、すべてが疑わしいことへの驚きこそが、彼をして彼固有の哲学の道へと押しやっていった訳です。実際、デカルトはその後、かなり長い期間をかけて諸国を渡り歩き、世間という書物に分け入って(あちこちの宮廷や軍隊を見て)いくなかで、「確かなもの」を求めていった。では、彼は一体なぜ、何のためにそうしたのか?
それは、デカルト自身の言葉を借りれば「私の人生をよりよく導いてゆく」ためであり、「自分の行ないを明らかに見通し、確信をもってこの人生を歩いてゆく」ためには、「どうしたら真なるものを偽なるものから見分けられるかを学び知る」ことがぜひとも必要で、そうした「これだけは確かだ」と言えるような指針を自分に与えることができれば、たとえその途上で歩むべき道すら見失われたとしても、どこまでも歩き続けていけるし、それが最善の方途に他ならないのだという確信が彼にはあったのです。
同様に、4月2日におうし座から数えて「探求」を意味する9番目のやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、何かと自分を突き動かしてやまない強い衝動に改めてハッとさせられていくはず。
葦の芽
確信を抱くというのは、これまでやってきたことの繰り返しやだらだらとした横展開とは異なる、垂直の軸を立てて、そこから新しい神聖な空間が展開されていくというイメージでもあります。
より能動的に言えば、それはゆるやかな流れの断絶であり、殺害。与えられた自然な素材を「切って」、新しい宇宙が開けてくるここぞという特異点を発見し、まず石を置いて、空間を立てていく訳です。
例えば『創世記』では、そうした行為のイメージを次のように描写しています。
天地開闢の初め、大地は混沌として漂い、まるで水面に浮ぶ脂のようだった― 一説では、水に浮かぶ魚のごとくであった、あるいは、水に漂うクラゲのごとくであった。そこに突然、一つのものが出現したのである。その形は葦の芽のようであった。
これから、どこに、どんな垂直的な精神を立てていくのか?
今週のおうし座もまた、しっかりと腹をくくり、これからの活動の基盤を見つけていくべし。
おうし座の今週のキーワード
何かを学ぶとは、問う以前と後で自分自身が変わってしまうような問いを持って、それとと共に生きること