おうし座
無常のリズム
「森の時間」を生きる
今週のおうし座は、『レース着て森の時間をよぎるなり』(長嶺千晶)という句のごとし。あるいは、花鳥風月の自然に軸足を移していこうとするような星回り。
視界をすっかり覆うほどの鬱蒼とした森の緑にまぎれることなく、奥へ奥へと進んでいくレースの白さがまばゆい。お気に入りのワンピースなのだろうか、なんとなく歩を進めるスピードも早く、迷いがないように感じられる。
さらに「森の時間」がよぎると言ったことで、そこに日常とは違う時間が流れ始めていること、そしてその度合いが次第に増しつつあること暗に示されている。
森では樹々の濃密な生気に促されて、自分の人生を自由に行き来しながら内省的になれる。その意味で、「森の時間」とは理性と感覚の変換期間であり、想像力の場であり、無心になることで古ぼけ色褪せていた自分がだんだん新しく色鮮やかになっていく過程でもあるのだろう。
その対極にあるのは、人、人、人で埋めつくされた人物の世界。無意識に比較対象として見なしてしまう他者であれ、不安や怒りがうずまく人間関係であれ、コンクリートまみれの人工物に囲まれた閉塞空間は、どうしても人間の比重が重くなってしまう。
その意味で、27日におうし座から数えて「自己をわすれること」を意味する5番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、猫でも花でも雲でもいい、「モノの延長としての生命」という資本主義的な観念から自身を解き放っていくよう心がけたい。
「あらためて」という感覚
掲句の根っこの部分には「あらためて」という言葉の背景にある根源的な感覚が横たわっていますが、例えば哲学者の磯部忠正はその点について次のように説明しています。
いつのまにか日本人は、人間をも含めて動いている自然のいのちのリズムとでもいうべき流れに身を任せる、一種の「こつ」を心得るようになった。おのれの力や意志をも包みこんで、すべて興るのも滅びるのも、生きるのも死ぬのも、この大きなリズムの一節であるという、無常観を基礎とした諦念である(『「無常」の構造』)
つまり、われわれの生き死にには、大きな四季の移り変わりや月の満ち欠けのような移りゆきと同じように無常のリズムというものが働いており、「あらためて」ということも、ついついそのリズムから逸脱してしまった人間が、再びそこに軌を一にしていく際の感覚を表現しようとしているのかも知れません。
とはいえ日本人のDNAに刻み込まれた遺伝的記憶としての無常観を、現代人は忘れつつある訳ですが、今週のおうし座は、そんな身の内の遺伝的記憶を再びよみがえらせていくことがテーマになっているのだと言えます。
おうし座の今週のキーワード
「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。」(道元)