おうし座
地獄に菩薩
他力に触れる
今週のおうし座は、ヘルダーリンの「功績は多い。だが人は詩人としてこの世に住んでいる」という詩のごとし。あるいは、境界のところで立ち止まって、なにか語りえないものに触れていこうとするような星回り。
世の中の人はみな功績によって生きている。企業経営者であれ、絵描きであれ、精肉店であれ、みな生きている以上、この世に功績を残すことをやっているし、その意味でこの世は功績でいっぱいです。
けれど、人はこの世で詩人として住んでいる。つまり、実用性や有効性の次元と違う生の次元に触れているじゃないかと、ヘルダーリンは歌っているのです。生活と生存のための社会的地平は水平ですが、ヘルダーリンが言っているような詩的感性はそこに垂直に立ち上がってくるものな訳で、仏教ではそういう垂直的地平を他力と呼びます。
それは人間が自分の力で支配できない次元、人間に対して贈られている次元であり、詩や詩的なものというのはそういう次元に人間を連れていってくれるんですね。そうすると、菩薩というのも単に神々しい存在というだけでなく、仏に向かおうとする人間の根源的な在り方の問題ということにもなってくる。
19日に自分自身の星座であるおうし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そういう垂直的な次元に触れているそのところで、ひとりの菩薩と化していくことがテーマとなっていきそうです。
垂直的地平の開かれとしての<地獄下り>
宗教学者ミルチャ・エリアーデは、祖国ルーマニアに戻れず異国の地で厳しい日々を送っていたある日の日記の中で、次のように書きつけています。
私は繰り返される失敗、苦難、憂鬱、絶望が、ことばの具体的で直接的な意味での<地獄下り>を表していることを明晰な意志の努力によって理解し、それらを乗り越えうる者でありたい、と念じている。人は自分が実際に地獄の迷宮中で迷っているのだと悟ればすぐ、ずっと以前に失ったと思い込んでいた精神の力が、新たに十倍になるのを感じるのだ。その瞬間にあらゆる苦しみはイニシエーション(新しい出発)の<試練>になる(『エリアーデ日記 旅と思索と人』)
ここではまさに彼の宗教学研究がそのまま、彼の生にも直結しているかのようでもあります。「菩薩」たらんとしていくということは、必ずどこかでこうした<地獄下り>とも繋がっていくことになりますが、それでもなお、エリアーデのように明晰な意志をもって臨んでいきたいし、それらを乗り越え得る者であらんと念じて、精神の力を奮い起こしてみてほしい。この人間界も地獄なのだと、はっきり意識することで。
おうし座の今週のキーワード
精神力十倍