おうし座
新境地へ吹き抜けていくために
「是風」に「非風」を交ぜていく
今週のおうし座は、身体の一部が無形の風となってかき消えていくよう。あるいは、衰えと引き換えに、自由を得ていくような星回り。
歳をとることは可能性が限られていくことを意味し、できることや選択の自由も年々失われていく。「転職35歳限界説」などもそうですが、多くの人はややもすると歳をとることや衰えることを一面的にネガティブなものと考えがちです。
確かに、身体の機能そのものが衰えることは事実ですが、そうした衰えを終わりと結びつけて考えるのはあまりに短絡的でしょう。
「能」という芸術を完成させたとされる世阿弥などは、少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消え、といったように人生を段階的な喪失のプロセスとして捉えていきますが、喪失と引き換えに何か新しいものを獲得するための試練としての「初心」を迎えていくのだと繰り返し述べています。
例えば、『風姿花伝』には「年来の稽古の程は、嫌いのけつる非風の手を、是風に少し交じうる事あり。」という文章があります。
これは若年から老年にいたるまで積んできた稽古のなかには、「嫌いのけつる非風の手」、これまで苦手とし避けてきたようなこと、やるべきでないとされてきたことを、「是風」つまり得意にしてきたことや、好んでやってきたことの中に取り入れて交ぜてきた、という意味。
世阿弥にとって人生とは、こうした自由の境地を獲得していくためのプロセスでもあったのです。
9日(月)におうし座の守護星である金星が、おうし座からふたご座に移って迎えた今週は、そんな世阿弥的な視点から自身の今後の指針を立てるくらいがちょうどいいように思います。
衰えるとはあいまいになること
風のような私、あるいは身体の風化、というのは一見ふしぎな感じを覚えるかもしれません。しかし「考える」という機能を特異なまでに発達させたのが人間なのかと考えると、当然出てくるであろう表現というような気もします。
というのも、「考える」という言葉はもともと「か身交ふ(かむかふ)」という言葉から来ているのですが、最初の「か」には意味はないのでおくとして、「身」をもって何かと「交わり」、自身と対象の区別をあいまいにして、そこから新たな思考を生みだしてきたのです。
車の行きかう音や鳥の声、葉のそよぎに、月から漏れる柔らかな音楽。
そういうものを見たり聞いたりしながら歩いているうちに、外なる自然と内なる自己が交わって、親密な関係となり、そこでひとりで部屋の中で考えているだけじゃ思いつかないようなことが引き出されていく。
そしてこの「自身と対象の区別があいまいになる」ということは、やはり衰えや喪失ということと表裏の関係にあるのです。
媒介としての身体と、風のようにゆらめく私。そこで吹き抜けていく風は、身体を通して交わった者の思考をいつの間にか新しい境地へと連れ去ってくれるでしょう。
今週のキーワード
風になろうよ