さそり座
超個人的悪について
鈍くなった感度を引き上げる
今週のさそり座は、ラッセルの「悪に対する感度」への言及のごとし。あるいは、相も変わらずそこらじゅうに跋扈している悪についての洞察を深めていこうとするような星回り。
歴史学を専門としつつも、哲学博士でもあるJ・B・ラッセルは『悪魔の系譜』において、悪の定義として①悪は現実的で具体的である、②悪は人間によって行われる、という2点を挙げました。
しかし、飢饉や疫病などの危機に加え、犯罪やモラルの低下などが分かりやすく跋扈していた中世であればことさら意識を研ぎ澄ませずとも、悪のリアリティを肌で感じることができたのに比べ、科学が文明が発達し、社会構造も高度で複雑化している現代社会では、むしろ「悪魔は消え去った」と考えるのが当り前であり、その分だけ人びとの「悪に対する感度」が鈍くなってしまったように思います。その点について、例えばラッセルは次のようにも述べています。
悪魔を信じるにせよ、信じないにせよ、われわれはサタンが象徴する激烈な悪を、あえて危険をおかして無視している。激烈な悪は哲学の面と実際の面の双方から取り扱わなければならない。哲学の面では、唯物論的還元主義の狭い制限から脱け出し、激烈な悪を真の現象として調べる必要がある。社会的な面では、世界の悪の力をできるだけ少なくする方針をたてなければならない。心理学の面では、われわれ自身の内部の悪を統合すべく努める必要がある。
ここで取り上げたいのは、特に心理学的な面での言及であり、悪に対して鈍感になるということは、すなわち、他者の苦痛に対しての想像力を失うことで、ますます鈍感になっていくということでもあり、それは積み重なればやがて個人的な悪という規模をこえて、「集合的無意識から生じる超個人的な悪」として戦争や差別やテロなどの背景となっているのではないでしょうか。
11月20日にさそり座から数えて「心的基盤」を意味する4番目のみずがめ座に冥王星が移っていく今週のあなたもまた、一見すると善人や天使の顔をして大手をふるって歩いているような悪をこそ看破していきたいところです。
『西洋の没落』を書いたシュペングラーのように
われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。この以外に道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。
この激熱な1文は、今からおよそ100年の1918年ころ、つまり第一次世界大戦末期にドイツで出版された『西洋の没落』という歴史書の体裁をとった予言書からの引用であり、敗戦に打ちひしがれたドイツ人の心情に強く訴えかけるものがあったのか、飛ぶように売れて瞬く間に数十版を重ねる一大ベストセラーになりました。
興味深いのは、その本の中に書かれた内容が、昨今の日本でもベストセラーに名を連ねがちな、安易にナショナリズムを高揚させるようなものではなく、むしろその真逆であるという点。西洋文明において共有されていた、「ギリシャ・ローマ→中世→近代」という直線的かつ単線的な進歩史観を真っ向から否定してみせたのです。
単に悲観したり、諦めに走ってしまうのは簡単ですが、シュペングラーのように、まず社会がほとんど無意識のうちに前提としている考えを徹底して懐疑し、執拗にそれを批判し、声を上げていった姿勢は、今週のさそり座にとってよき指針となっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
「警告者」たらんとすること