さそり座
モブかゲームチェンジャーか
風狂の縁
今週のさそり座は、『蓑虫の音(ね)を聞きに来よ艸(くさ)の庵(いお)』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、伏流水のような交流のありがたみを実感していくような星回り。
これは作者である芭蕉が、「私の草庵に、蓑虫の音色を聞きにおいでよ」と友に呼びかけている誘い文句のような一句。
蓑虫は現実には発声器官を持たないので鳴くことはありませんが、『枕草子』には親を捨てられた蓑虫が秋になると「ちちよ、ちちよ」と鳴くのだと書かれており、それを踏まえているのでしょう。
コオロギや鈴虫などありきたりな虫の声ではなく、聞こえないはずの蓑虫の鳴き声をネタに草庵へ誘うというのは、酔狂なまでの遊び心の現われであると同時に、鬼の子であり、捨てられた身である蓑虫に自分たちの理想を重ねていたところ、世俗的なものから自由になった「風狂」の境地を仲間たちと共に楽しんでいたのであろう作者の日常を彷彿とさせてくれます。
実際、この句は弟子の服部土芳が自分の庵をつくった時に贈られ、土芳の方でもこの句を受けて「蓑虫庵」と名付け、芭蕉は土芳の庵をたびたび訪ねたのだとか。
10月17日にさそり座から「人当たり」を意味する6番目のおひつじ座で十三夜の満月(リリース)を迎えていく今週のあなたもまた、弱くて、ささやかな営みや、偶然的な付き合いをほど大切にしていきたいところです。
巨大な碁盤の上で
太古の昔から、支配する側の技芸として帝王学や天文学があったように、支配される側にも「強者」の打ち建てた秩序のなかで「それでもうまくやっていく」ための技芸は存在してきたし、それは日常的な実践のなかに、そうとは分からぬよう透かし込まれてきました。
それは芭蕉と土芳のように俳句を作って互いに贈りあったり、会話したり、住んだり、道を行き来したり、料理をしたりといった、何気ない営みを戦術的な機略や奇襲へと転じることで、詩的でもあると同時に戦闘的でもあるような意気はずむ独創なのです。
こうした実践は、現代のように社会政治的秩序や産業構造が複雑化してきている時代において、自身を社会経済的な保障と制約からなる巨大な碁盤上に置かれた思考停止した捨て駒やモブ(名もなき暴徒)から、確かな狡知をもったゲームチェンジャーへと変貌させていく上で、ますます決定的な役割を果たしていくでしょう。
例えば、日常会話をひとつとっても、それは言葉を通した生産であり、「決まり文句」を操ったり、ふりかかる色々な事件を「しのげるもの」に変えて楽しむ術を駆使することで、いざというタイミングで盤面の状況を変えるための決定打にもなりえるはず。
今週のさそり座もまた、「それでもうまくやっていく」ための手持ちの技芸を改めて確認したり、必要に応じて切り替えたり、新たに試みていくことがテーマとなっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
「まるで何者かが、わたしたちすべてを働かせつづけるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっちあげているかのようなのだ」(『ブルシット・ジョブ ─クソどうでもいい仕事の理論』)