さそり座
密かなる訓練
博奕のすすめ
今週のさそり座は、体ではなく心の方のジム通いのごとし。あるいは、改めて心の動きを支えるインナーマッスルを引き締め直していこうとするような星回り。
入院などして急に筋肉を使わなくなると、短期間でどんどん落ちて、しまいには歩けなくなるほどに弱ってしまうように、心というのも油断して放っておくと、一気に萎んだり枯渇してしまうものです。例えば、紀元前6世紀の孔子の言行を死後約400年をかけて編纂(へんさん)した『論語』の中にも、心の使い方について述べた次のような箇所があります。
子曰わく、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所なし。難いかな。博奕(ばくえき)なる者あらずや。これを為すは猶お已むに賢(まさ)れり。
「飽食終日」とは、終日食って寝て遊び暮らすことの意。確かにお腹がいっぱいになるとボーっとして頭が働かなくなりますが、どうも孔子は心もうまく使えなくなると考えていたようです。そして、そんな孔子が心を使っていく上でおすすめの習慣として「博奕」を挙げてるのですから、なんともおもしろいじゃないですか。
能楽師の安田登は『身体感覚で「論語」を読みなおす―古代中国の文字から―』でこの点について触れて、孔子のいう「博奕」とは「麻雀や双六など(…)参加者間の勝ち負けのプラスマイナスがゼロになるゼロサムゲーム」のことであり、いずれも対戦相手がいるゲームで、その「相手の心を読んだり、自分の心を隠したりする駆け引きと、そして運の流れを知ることによって、まさに心を用いる訓練ができる」のだと。
これはある種の極論でありますが、安田はさらに「男時(おどき)、女時(めどき)」という世阿弥の言葉を引いて、運には「自分の方に運が向いているとき(男時)」だけでなく、「何となくいろいろなことが裏目裏目に出るとき(女時)」もあって、後者のときに心をいかに上手く使っていけるかが大事なのだと言っています。
9月11日にさそり座から数えて「身体性の回復」を意味する2番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、「女時」にある時にこそ、無心のまま過ごすのではなく、適度な心のエクササイズを心がけていきたいところです。
“ありえない”ことを成すための心構え
池澤夏樹の『スティル・ライフ』という小説があって、そこには静かなバーで、静かに酒を飲み、静かに星の話をしている男性が登場してきます。
見かけは平凡で特別目立った特徴はないのですが、じつはこの男性、勤務先の会社から巨額の公金を横領して逃亡中で、物語はそんな男性が語り手の「ぼく」にひょんなことから秘密を打ち明け、助力を依頼するところから始まります。ただし、ここに引用したいのはその前段の、おのおのがウイスキーと水の入ったグラスを前にして交わした、何気ないバーでの会話。
「何を見ている?」とぼくは聞いた。/「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかとおもって」/「何?」/「チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。それが見えないかと思って」/「見えることがあるのかい?」/「水の量が少ないからね。たぶん一万年に一度くらいの確率。それに、この店の中は明るすぎる。光っても見えないだろう」/「それを待っているの?」/「このグラスの中にはその微粒子が毎秒一兆くらい降ってきているんだけど、原子核は小さいから、なかなかヒットが出ない」
男性の言葉は冗談なのか本気なのか、いまいち掴めません。そもそも、こんな会話を冒頭に登場させた作者の意図も当初はよく分からない。けれど、物語が終る頃には、横領した金にまったく手をつけないどころか、利子までつけて金を返し、再び姿をくらませるという一連の“ありえない”行動をとる人物の「心の使い方」をあらかじめ見せておくことで、読者に彼という人物のリアリティを感じさせる工夫だったのかも知れないと思うのです。
今週のさそり座もまた、この男性のようにグラスを前にチェレンコフ光を待っていくぐらいのつもりで過ごしていくべし。
さそり座の今週のキーワード
“ありえない”ことをしでかす準備