さそり座
軽蔑を超えてゆけ
原動力としての恋焦がれる思い
今週のさそり座は、若かりし明恵の抱いた野心と情熱のごとし。あるいは、精神的高揚や憧れの対象をはっきりと見出していかんとするような星回り。
明恵(みょうえ)という中世の僧は、一生不犯(一生を通して異性と交わらないこと)を貫いたとされるほど、とても信仰心の篤い人で、華厳宗中興の祖となりましたが、今日ではむしろ几帳面に自分の見た夢を記録した人物としてもよく知られています。ただ、その記録された夢の内容はなかなかに生々しいものも多く、例えば、彼が若い頃に見た夢には次のようなものがありました。
同十一月六日の夜、夢に見た。(中略)建物の中に威厳ある美女がいた。衣服などはすばらしかった。しかし、世俗的な欲望の姿ではなかった。私はこの貴女と一緒にいたが、無情にもこの貴女を捨てた。この女は私に親しんで、離れたがらなかった。私は彼女を捨てて去った。まったく、世俗的な欲望の姿ではなかった。(『夢記』)
気持ちを惹かれていた女性を無理にでも捨てたという短い内容の中に、「世俗的な欲望の姿ではなかった」という言い訳がましい言葉が2度も登場しており、彼はその夢解きすなわち夢占いをして、「女性は毘盧遮那仏(仏)なり」と結論し、夜中に起き出して道場で座禅を組んだそうです。
明恵にとって仏を愛する心は、世間の男女の愛を超えたものでありながら、どこまでも性的なものでもあり、彼が仏に近付く手立てとしたのは世俗的な欲望を使って世俗を超えようという非常に強烈なものでした。
こうした狂気すれすれまで何かを恋焦がれる力強さというは、現代社会ではもはや許容されなくなってしまったように思います。しかし、1月26日にさそり座から数えて「野心」を意味する10番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたにとっては、明恵の垣間見せてくれた圧倒的な情熱は一つの指針となっていくはず。
火の中をくぐる
ニーチェの『人間的、あまりに人間的』(池尾健一・中島義生訳)の中にある「軽蔑の火の中で」という断章を見ていくと、「自分の不名誉になるような考えを最初に大胆に表明することは、自立への第一歩になる」という一文が出てきます。
もちろんそれをいざ実行してしまえば、生半可な知り合いや常識人たちは怖気づいてしまうでしょうし、あなたの元から離れていくでしょう。けれど、ニーチェはおそらく自分自身の経験をふまえ、実感を込めて次のように続けるのです。
「能力に恵まれた者なら、この火のなかを潜り抜けなければならない。そうすることで彼がいっそう自分らしくなっていく」と。そういう意味では、明恵の夢の記録もまた、たえず軽蔑の火の中をくぐり続けていくための一歩一歩だったのかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
世俗的な欲望を使って世俗を超える