さそり座
光をもとめて
希望を感知する本能
今週のさそり座は、体中の無数の目を開いていくよう。あるいは、いっそ植物を見習って生きものとしての本能を働かせていこうとするような星回り。
植物学者のマンクーゾとヴィオラは、光合成によってエネルギーを補給する植物にとって最も重要な能力は屈光性(光源の方向に向かって植物が成長していく性質)ないし避陰反応(日陰からの逃走現象)であるとして、次のように述べています。
いわゆる「避陰反応」現象は、肉眼ではっきり確認できるため、古代ギリシア時代にすでによく知られていた。とはいえ、数千年前から当たり前の現象と見られていたとしても、植物のこの行動が示している真の意味は、ずっと無視されてきた。あるいは過小評価されたままだった。何が言いたいかおわかりだろうか?「避陰反応」は、知性の表れ以外の何ものでもないということだ。植物はリスクを計算し、利益を予想している。それこそまさに知性だ。これは植物を偏見のない目で観察してさえいれば、とっくの昔に明らかになっていたはずの事実である。(『植物は<知性>を持っている―20の感覚で思考する生命システム―』)
光をとりこみ、利用し、その質量の微妙な変化を識別する植物の能力は、たしかに紛れもなく非常に高い知能がなせる業であり、植物のこうした知能は視覚にも喩えられるのですが、著者によれば彼らは四季の移り変わりに応じて視覚の使い方も変化させていくそうで、冬のあいだは「成長周期を遅」くし、「目を閉じ」眠りつづける。春になるとまた正常に機能しはじめ、芽を出し、ふたたび葉をつけ「ふたたび目を開ける」のだそうです。
しかも人間の場合は、目は顔の特定の部位に限定されますが、植物の光の受容体は葉っぱだけでなく、茎の若い部分や先端、ひげ、芽、木の枝や幹、根などにもあり、いわば「小さな無数の目で全身を覆われているようなもの」なのだそう。
植物がそれほどまで物質(からだ)を適応させて感受しようとしている光を、私たち人間は普段どこまで意識的に求めているでしょうか。24日にさそり座から数えて「本能」を意味する2番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ彼ら植物を見習って、光を求めることを日々の暮らしの中で意識してみるといいでしょう。
闇の中に隠れている星
しかし、光を求める生物としての本能というものが仮にあるとして、ほんとうの真っ暗闇というものをもはや普通に体験することが困難になってしまった現代社会は、闇の喪失とともにそうした本能まですっかり減退させてしまったように思います。
例えば、聖書には砂漠の感覚を背景にしているヘブライ語原典の表現や言い回しが出てきますが、その代表的なものに「夕となり、また朝となった。これで一日である」(創世記1章5)という記述があります。
つまり、一日というのは日没を起点に始まるものなのであり、これは炎熱と死の渇きが去って深い闇と静寂とが訪れる夕べの闇こそがものをみな蘇らせる至福の時であり、生命の源でもあるのです。そして、ヘブライ語で闇を意味する「ホシェフ」という言葉には、「隠れるための秘密の場所」という意味もあり、これは神々を潜める場所は明るい光のなかではなく、闇の奥にこそあったということでもあります。
今週のさそり座もまた、みずからの心の闇に目を凝らしていくなかで、闇のなかに隠れていた星のかすかな輝きを見つけていくべし。
さそり座の今週のキーワード
闇と静寂からすべては始まる