さそり座
ふれあいの中でこそ培われるもの
伴走体験のリアル
今週のさそり座は、コミュニケーションにおける主従の固定化への崩し。あるいは、中間的かつ生成的なコミュニケーションを取り戻していこうとするような星回り。
コロナ禍以降、夫婦間の家事負担などが原因で離婚相談が増えているという話をよく見聞きします。大抵は共働きの家で、夫も家にいる時間が増えたにも関わらず、相変わらず妻ばかりが家事を負担しているというケースが目立つ、といった場合。これは母親幻想の投影が男性に都合のいいように行われているということも大きいとは思うのですが、それだけで終わる話ではないように思います。つまり、一方が過剰に受動的であるということは、もう一方が過剰に能動的であるということで、その方が楽だからということであって、これは言い換えればその中間的なコミュニケーションが成立しにくい状況になっているということなのではないでしょうか。
この点について、たとえば美学者の伊藤亜紗は『手の倫理』のなかで触覚の倫理性ということを取りあげて、「さわる/ふれることは、避けようもなく『他人のことに口を出す』行為なのです。他者を尊重しつつ距離をとり、相対主義の態度を決め込むことは不可能。この意味でさわる/ふれることは、本質的に倫理的な行為」なのだと述べているのですが、ではこうすれば正解というものがない中で、どのような積極的な立場が取りうるのか。伊藤は、全盲ランナーとその伴走者との伴走体験の解説をする中で、こうも述べています。
「伴走」というと、見える人が見えない人をサポートする、福祉的な行為だと思われがちです。いかにも「介助」といった感じ。ところが実際の身体感覚としては、そこに「伴走してあげる側」と「伴走してもらう側」というような非対称性はない。つまり、伝達ではない、生成的な関係が生まれているのです。
つまり、ここでは一方が<主>で他方が<従>のような上下関係に基づく一方的な伝達によるコミュニケーションとは一線を画した、互いのやり取りのなかで物事の意味を作り出していくような「生成的」なコミュニケーションが生み出されているのだと。
7月10日にさそり座から数えて「組織性」を意味する6番目のおひつじ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、難しい状況でこそ、互いのする/されるが反転していくような「ふれあい」をこそ大切にしていきたいところです。
トムとジェリーのあべこべな関係
体が大きく凶暴だが、おっちょこちょいでどこか憎めないネコのトムと、体は小さいが頭脳明晰で、追い掛けてくるトムをつねに事も無げにさらりとかわすネズミのジェリー。
1940年に映画に登場してからすでに80年以上世界中で愛され続けているこの2匹は、永遠の喧嘩相手と無二の友達をいったりきたりしている仲ですが、両者ともに共通しているのは同じ種族の中では異端的存在であるということ。
特に、本来は捕食者側であり圧倒的な強者であるはずのネコのトムは、むしろネズミのジェリーに自身の欠点や弱みをさらしてしまうという傾向があり、強者であると同時にきわめて「傷つきやすい」存在です。
これは傷つきやすさは攻撃誘発性ともつながりますが、この2匹の場合は単にトムが「いじめられやすい」ことを意味しているのではなく、トムが傷つきやすいことによってジェリーと過剰に相互反応した結果、生成的なコミュニケーションにいたる劇的な可能性が開かれていると言えるのではないでしょうか。
今週のさそり座もまた、そうした欠点や弱みをさらすことによって開かれる劇的な可能性を模索していくことがテーマとなっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
触覚の倫理性