さそり座
真に欲するべきもの
変容体験の二つのベクトル
今週のさそり座は、子ども時代の<食>体験のやり直し。あるいは、自分が何かを取り込んだり、逆に自分が取り込まれてしまったりしていく動きが活発化していくような星回り。
児童文学や絵本には「食べもの」や「食事風景」が描かれることが多いですが、この点について児童文学研究者の川端有子は次のように述べています。
別世界の<食>を受け入れるのは、他者を受け入れることでもある。同じ釜の飯を食う仲間は、運命をも共にする。だがうっかり別世界の食べ物を口にするのは危険だ。神話のペルセポネやイザナミノミコトのように、“あちら側”に属したとみなされ、この世に帰ってこられないこともありうるからだ。(中略)こうして食には常に危険が伴うが、それは食べることが、他者を自己に取り込む行為であるからに他ならない。(『子どもの本と<食>ー物語の新しい食べ方ー』)
食べることが「他者を自己に取り込む行為である」ということは、自己が他者や異質な世界、集団に取り込まれることでもあります。川端は続けて、成育過程にある子どもにとって、食べることは、「大きくなる」という快感であると同時に「自分の身に起きる不可解な感覚」でもあるとも述べていますが、それも自分がそれ以前とは別物へと変わってしまう変容・融合体験に対する感じ方の2つのベクトルであり、後者をこじらせてしまうと、時に拒食症などの心身の症状として表面化してくるのではないでしょうか。
同様に、6月4日にさそり座から数えて「愛着」を意味する2番目のいて座の満月に向け月が膨らんでいく今週のあなたもまた、少しでも自分がこの世にあることを肯定できるよう、食であれ情報であれ、自身の内側に取り込んでいくものに改めて注意を向けていくべし。
マックスの帰り道
たとえば、『かいじゅうたちのいるところ』という絵本には、最後のほうで、去っていく主人公の子どもに向かって、かいじゅうたちが泣きながら「おれたちは たべちゃいたいほど おまえが すきなんだ。たべてやるから いかないで」と叫ぶ場面が出てきます。
ここには食べることが孕んでいるどうしようもない暴力性/被暴力性の領域が露出していますが、それだけでなく、愛する対象との一体化という見果てぬ夢の側面も含んでいるように思われます。
かいじゅうたちの王国にやってくる以前は、イタズラで大暴れして“夕食抜き”の罰をうけていた主人公ですが、かいじゅうたちに十分な愛情をもらって家に帰ると、「そこには夕食がまだ温かいまま置かれていた」のでした。
「食べもの」がおとなから子どもへの無償の愛の贈り物を象徴しているのだとすれば、主人公のマックスは、かいじゅうたちと一体化することを通して、本当に取り込んでいくべきものに気付いたのだとも言えます。今週のさそり座もまた、そんなマックスのように、真に欲するべきものに思い当たっていけるかどうかが問われていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
食には常に危険が伴う