さそり座
隠れた豊かさを探していく
光と闇の分岐点
今週のさそり座は、『白壁の穴より薔薇の国を覗く』(渡辺白泉)という句のごとし。あるいは、暗い予感と背中合わせにある豊かさに目を向けていこうとするような星回り。
昭和4年、作者が16歳のころの作。散歩中にたまたま目にした民家の庭で、丁寧に育てられた「薔薇の国」を見かけたのでしょう。この10年後に戦争の始まる足音の響く最中で「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という句を詠んで作者の代表句となっていくのですが、掲句はそうした作者の俳人としての第一歩となった作品です。
おそらく戦争さえなければ、こうしたみずみずしい詩情をたたえた作品を繊細な筆致で描くタイプの俳人となっていったのかも知れません。そう思って、改めて2作をくらべると複雑な気持ちになってきます。
まず「戦争が」という出だしから始まる後者の句には、ハッとさせられるものがあります。戦争は遠い戦場でのみ起こるのではない、あくまでごく普通の生活の延長線上に、唐突に大きな口をあけた得体の知れない化け物として経験されるものなのだと。
そうして、戦争の時代に人間のもっとも醜悪な部分に直面して、その衝撃を「立つてゐた」という口語表現にこめたのと同じ人物が、一方でまだ平和だった時代には平凡でささやかな日常のただ中にある非日常的な美の世界を詠んでいた。じつに、もの悲しい話です。
その意味で、5月28日にさそり座から数えて「中長期的な視点」を意味する11番目の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えるべく光が戻っていく今週のあなたもまた、長い目で見たときに光と闇とを分かつような岐路に立っていくはず。
危機における生命の本能
疫病、災害、飢饉、戦争。ひとの世の苦しみは、太古の昔からまるで変わっていません。
相変わらず地震はくるし、年をとるほど身体のあちこちにガタも来る。だからと言って、そのたびごとに落ち込んでいたら、とても死ぬまでもたない訳ですが、ただ、どんなにタフな人であっても、自分の手足をもがれる以上に耐えがたく感じるのは、最愛の者に先立たれることでしょう。
例えば、平安時代末期に起きた大飢饉の際に見聞きしたことを踏まえて、鴨長明は『方丈記』に次のように書いています。
去りがたき妻、をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて、かならず先立ちて死ぬ。その故は、我が身をば次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食物をも、かれに譲るによりてなり。
こうした光景や人間的真実もまた、先の「薔薇の国」にも通じる隠れた/埋もれた豊かさと言えるのではないでしょうか。
今週のさそり座もまた、いま身に迫っている危機と向き合っていくことで、死への衝動を含み込んだ生きる意志を自分なりに再確認していくべし。
さそり座の今週のキーワード
生き残る力の根源にあるもの