さそり座
忘れたり、許したり
背けた方の顔には
今週のさそり座は、『別離の顔冬の落暉に向き背く』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、一緒に道を歩くだけがパートナーシップではないのだと知っていくような星回り。
「落暉(らっき)」とは西に落ちていく夕日のこと。泣き腫らした顔のごとく、弱いけれども幻想的な赤みを帯びた冬の夕焼けは、あっけなく訪れる幕切れの感と相まって、まさに別れにふさわしい情景でしょう。
一方の顔は夕日に向かって赤く染まり、もう一方の顔は夕日に背いて影となる。前者がその別れに対してストレートに涙しているのだとすれば、後者はよく見えなくなったその顔にどんな表情を押し殺しているのだろうか。
言葉というものが何かを「あらわす」ために用いられるだけでなく、それと同じ分だけ何かを「かくす」ためにも用いられるように、夕日から背けた方の顔には流した涙以上の真実が込められていたはず。
別離とは、そこで顔を背けてきた真実を「捨ててきた」のでは決してない。ただ「忘れてきた」のであり、忘れることもまた愛することだという気がするのです。
1月23日にさそり座から数えて「人との関わり方」を意味する7番目のおうし座で約5カ月間続いた天王星の逆行が終わって順行に戻っていく今週のあなたもまた、忘れるという仕方で大事にしていくこともあるのだと、改めて思い直していくべし。
グレゴリウスの奇跡
トーマス・マンの小説『選ばれし人』の主人公グレゴリウスは、近親相姦から生まれ、自身もまた再会した実の母と結婚するというオイディプス王と似た境遇に陥りました。
彼は後にみずからの罪(明らかに彼の責任ではないが)を知り、それをあがなうために湖の真ん中にある島で暮らすことを決意しますが、食べ物が十分に取れなかったため、17年にも及ぶ島での暮らしの中でハリネズミほどの大きさに縮んでしまいました。
このハリネズミ化は“(自分を含めた)人間嫌い”の象徴であり、人と距離を置きたいという心理の奥に、自分自身に向けられた憎しみを隠し持っていましたが、物語はここから急転します。ローマ教皇が亡くなり、ふたりの老人が啓示により、次の教皇は湖の真ん中の島にいると知り、小さくて剛毛の生えたグレゴリウスにひどい嫌悪と混乱を感じつつ、彼を陸へと連れ出すのです。
ここで奇蹟が起きます。グレゴリウスが「汝を許す」という言葉を自分自身に向けて唱えると、陸に上るやいなや元の人間の姿となり、史上最も素晴らしい教皇となったと言うのです。
今週のあなたもまた、いったん忘れることで遠ざけていた自分自身を許し、愛する勇気をもつことという大きなテーマに直面していくことになるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
自分嫌いをときほぐす