さそり座
かけ離れ、適切であること
理想の上司/リーダーとは
今週のさそり座は、明治生まれの元帥(日本軍における最高位)・大山巌のごとし。あるいは、いい雰囲気の建物になりきって過ごしていくような星回り。
鹿児島出身の明治の元帥で、大山巌という人がいるんですが、実際のところどうだったかはさておき、伝説的にはいちばんいいリーダーだったように思います。
命令もしない、文句もいわない。ただただ「そうか」って、いつもそれ以上のことはあまり言わない。ただそこにいて、お茶を飲んだり、たばこを吸っているだけだったと言うんです。
いやいや、それだったら誰でもできるし、何も指示しないんじゃ、居てもいなくても変わらないじゃないか、と言う人もいるかも知れません。しかし、得てしていい建物というのは、間取りも雰囲気も余裕があってゆったりしているように、理想的な上司やリーダーというのも、あれこれと細かく指示をするより、下の人たちが自由にやっているという雰囲気を出せる何かがあるのではないでしょうか。
それで、上司やリーダー当人から強制されている訳ではないのに、気が付いたらそれなりに仕事をやっていた、というような。
その意味で、19日にさそり座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のおうし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、下であれ横であれ、関わる人に対して隙間や余白をあけてあげられているかということが問われていくでしょう。
さそり座の関係性の詩学
アンドレ・ブルトンの『シュールリアリスム宣言』に次のような一節があります。
イメージは精神の純粋な創造物である。それは比較することからは生まれず、多かれ少なかれ離れた二つの実在を接近させることから生まれる。近づけられた二つの実在の関係がかけ離れ、適切であればあるほど、そのイメージはいっそう強烈になり―いっそう感動と詩的現実性をおびるだろう……
じつはこの発言はシュールレアリストからその先駆と見なされていた詩人ピエール・ルヴェルディのもので、それは言わば「偶然性(意外性)の詩学」とも呼ぶべきものでした。ルヴェルディは人間の思考や言動がいかに短絡的な機能主義や感情的なしがらみに囚われやすいものなのかということを、身に沁みて分かっていたのでしょう。
詩や文芸というものも、所詮はそうした日常的な人間関係のありようを凝縮したものですから、「離れた二つの実在」を「かけ離れ、適切であ」るような絶妙な配置でキープしていくというのは、想像以上に難しいのですが、それでも意識して狙ってやっていかなければ、偶然うまくいくことはあっても、技(アート)として向上していくことはないのです。
その意味で、隙間や余白のある自由な雰囲気の人間関係を作っていくということは、「意味のある偶然をあえて狙って仕掛けていく」という点で、ルヴェルディのいう「偶然性の詩学」に通じていくのかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
いい建物であること≒ちょうどよくかけ離れ、適切な配置であること