さそり座
記憶と恍惚
孔乙己の「甘露」
今週のさそり座は、魯迅の短編小説『孔乙己(くんいち)』の主人公のごとし。あるいは、外野からの声や感傷などに惑わされることなく喜びの源に集中していくような星回り。
物語の舞台は、中国の紹興市をモデルとした架空都市である魯鎮の安居酒屋。労働者が仕事帰りに立ち飲みで1杯ひっかけるような店に、あるひとりの落ちぶれた文人の客がいた。
彼は「『回』という字の何種類かある書き方」のような時代遅れな知識だけが頼みの男で、いまは裕福な家からの代筆の依頼でなんとか食いつないでいることから、しばしば他の客からも嘲笑の的とされていましたが、本人はそれを気にする風でもなく酒を楽しんでいたとか。
ところが、この彼には本を窃盗する癖があり、その度に仕置きを受けるため、日ごろから生傷がたえなかったそうで、ある時に折檻で脚を折られて表に出れなくなってしまった。にも関わらず、ある日に聞きなれた彼の声がして「燗酒を1杯」というので、席まで酒をもっていくと、泥だらけの手で銅貨四銭を渡してきた。それは、手をつかって店までやってきたからだったとか。彼は酒を飲み終わると、傍らの客たちの笑い声の中、のろのろと行ってしまったという。
一見すると、まことに悲惨な話なのですが、今でも中国では「書店や図書館で本を窃盗する人」の意味で使われる「孔乙己(くんいち)」その人の内心は、ただひとときの甘露の喜びに打ち震えていたのではないでしょうか。
同様に、23日にさそり座から数えて「歓喜」を意味する5番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、つまらないことを気にして自分で自分を不幸にする代わりに、他ならぬ自分をしあわせにしてくれるきっかけに焦点を定めていくべし。
ボードレールの「香水の壜」
かつてベンヤミンはボードレールの代表作を取りあげて「武器庫としての『悪の華』」と書きましたが、例えばその中の『香水の壜』という詩をここに引用してみましょう。
どんな物質(もの)にも気孔(きこう)があると思われるほど強力な
匂ひがあつて、ガラスさえ透してしまふと人は言ふ。
錠前が錆びて軋んで 痛さうな音(ね)をあげながら
東洋渡来の小匣(こばこ)の蓋(ふた)が 開けられた時とか、或は、
住む人もない廃屋(あばらや)で、歳月の黴くさい臭ひに満ちた
埃の積もつた眞黒な 衣装箪笥を開けた時、
時をり人は 昔の壜を見つけ出す。思出が詰められてゐる
その中から 魂が蘇つて来て 生き生きと 迸り出る。
ボードレールはかつての体験をずっと後になってから加工していく詩人であり、その原稿は推敲につぐ推敲で嵐のようにごった返しており、いったい何度加筆の手を入れたのか分からないほどだったと言います。
そうして彼は記憶の中の「廃屋」の引き出しに封じられた「思出」をこれでもかと覗いては、事物どうしの化学反応においてよみがえる悪を昇華して、あえて精神の「苦味」のもたらす快楽に溺れていったのです。
その意味で、今週のさそり座もまた、自分なりの「衣装箪笥」や「昔の壜」をとり出して、大いに精神を昂ぶらせていきたいところ。
さそり座の今週のキーワード
私が自分に問いかけるとき、私自身の奥底から説明のつかぬ夢が、生れでる。(フーコー)