さそり座
虚実の反転
虚をつかれる
今週のさそり座は、「桜咲きつめたき肌の人を診し」(北垣一柿)という句のごとし。あるいは、思いがけず自分なりの“リアリティー”が深まっていくような星回り。
作者は無季俳句の論客で、三井鉱山田川鉱業所の病院長を歴任した人。桜が咲きはじめて、ぐっと暖かくなってきた或る日の診察での実感を句にしたのでしょう。
ものうい春の日、それでも医師としての仕事をこなさなければならない。病人は熱があるのもいたはずですが、開放療法をやっていたので逆に肌がつめたい者もいたのかも知れません。いずれにせよ、作者の手は鋭敏にそれを感じとった。
それまであたりに漂っていた陽気とは対照的な、思わずハッとさせるほどの患者の「つめたさ」に作者は一気に現実に引き戻された訳ですが、作者にとっての現実とは、きっとどこまでも白く透きとおっていて、青味さえ帯びて冴えている病人の肌のようなものだったのではないでしょうか。
1909年生まれの作者の妻は、東条英機の夫人の姪であったそうですから、戦後は損な立場にあったはずで、もしかしたらここにもそんな社会上の不利が影のように差していたのかも知れません。
29日にさそり座から数えて「もうひとつの現実」を意味する12番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、おぼろげに感じていた現実が意外な角度からスッと到来することになるかも知れません。
虚に居て実を行う
俳聖と称された松尾芭蕉の教えとして伝わっているものの中に「虚に居て実を行ふべし」という言葉があります。
これは俳句の根本を端的に示したもので、虚は事実に対する虚偽であり、現実に対する空想のこと。ただ、おそらくこれは単に虚=嘘を重んずるという話ではなく、広く文芸というものが日常世俗とは全く異なった価値体系に属するものであることを肝に銘じよという話でしょう。
つまり、実=真実が虚を呼び起こし、虚はいつでも実に収れんして、絡み合った両者が目指すのは一つの真実であろうという‟虚実自在の境地”こそが俳句の真骨頂であると。このことはその反対を考えてみるとより分かりやすいかも知れません。すなわち、事実にとらわれながら、自由に想像の世界に遊べるかと言われれば、それは困難であるはず。
したがって、「虚にいて実をおこなう」とき、その虚は実へいたる架け橋であり、単なる事実を超えたより深い実をうがつための弾性に満ちたジャンプ台のようなものなのだと言えますし、掲句において作者がまさに虚をつかれた「肌のつめたさ」もまたそうした役割を果たしていたように思います。
今週のさそり座もまた、みずからを虚に差し出しつつ、自分なりの“実”を思い描いていくべし。
今週のキーワード
単なる事実を超えたより深い実へ