さそり座
芸術と人間
月日は百代の過客
今週のさそり座は、「旅は風雅の花、風雅は過客の魂」という言葉のごとし。あるいは、いま自分のなかで花開きつつある真実を開花させていこうとするような星回り。
冒頭の言葉は、俳聖・松尾芭蕉の弟子・許六による『韻塞(いんふたぎ)』という書物に収められた「風狂人が旅の賦(ふ)」という文章の冒頭の一文。弟子の言葉ではありますが、芭蕉の説くところに従ったのでしょう。
この場合の「風雅」とは広くは文芸のこと、狭くは俳句のことを指し、「過客」は“永遠の旅人”というニュアンスで取っておくとよいかも知れません。
俳句という芸術において、旅とは厳しい現実からの逃避ではないし、日常を離れた休暇(バケーション)でもない。旅そのものが現実であり、日常。
すなわち、一定のルーティンや安定した居場所に自分を置くのではなく、それらを捨て去った漂泊において様々なものを眼にし、交わることで結露する真実を感じること。そして、感じたままにしておくのではなく、それを何らかの仕方で表現し、言いとどめられてはじめて、真実はその人のものとして定着するのだ、というのです。
10日にさそり座から数えて「日常意識の破れ」を意味する9番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、逃避でも休暇でもない、これまでの固定された文脈からの逸脱を遂げることで、心を揺り動かしていくことがテーマとなっていくでしょう。
コンフォートゾーンから出る
能の大成者・世阿弥に「老後の初心」という言葉があり、彼はそれについて更に「命には終わりあり、能には果てあるべからず」(『花鏡』)とも述べています。
そう、人生には終わりがある。しかし、新たな事態を乗り越え続けていくことによって、何歳であろうとも、人はいつでも自分の人生を生き直していくことができる。
例えば、年老いて聴覚を失ったベートーヴェンや、視力を失った舞台芸術家の友枝喜久夫などは、まさに「芸術には果てあるべからず」を体現するかのようです。
世阿弥にとって芸術(能)というのは、ひとりの人間の射程をはるか超えるものであり、そうしたはるかな射程の中に改めてひとりの人間を位置づけていくものでもありました。
こうした過激なほど未成熟へ向かう思想こそ、まさに今のさそり座に必要なものであり、高じればそれは必ずや芸や技の研鑽法に限らず。あなたの生き方そのものをスケールアップさせてくれるものとなるでしょう。
今週のキーワード
大器とは生涯にわたり完成を拒み続ける者のこと