さそり座
いのちの洗濯
人間ではないものの側に立つ
今週のさそり座は、金子みすゞの「鯨法会」という童謡のごとし。あるいは、みずからの命を保つために他のいのちと縁を結んでいくことを改めて決意していくような星回り。
みすゞの故郷、山口県長門市の対岸に横たわる青海島(あおみじま)の東端には向岸島(こうがんじま)という、いまも春の終わりに鯨(くじら)の供養を行っている寺があり、鯨の位牌や千頭をこえる過去帳で知られるが、鯨墓のうしろの地中には七十五体の鯨の胎児が埋葬されているのだそう。
仕留められた母鯨の胎内から取り出された胎児について、おそらくみすゞは生々しく想像を巡らせたのでしょう。次のような歌を作っています。
「鯨法会は春のくれ、海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、ゆれる水面をわたるとき、
村の漁夫(りょうし)が羽織着て、浜野お寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、こいし、こいしと泣いています。
海のおもてお、鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。」
これは私たち人間の意識下に沈められている、他の生命を食い殺すことでしか生き永らえないという罪責感を浮き彫りにしたものであり、それを否定するのでも誤魔化すのでもなく、ただありのままに写しとっているように感じられます。
23日にさそり座から数えて「向きあうべき対象」を意味する7番目のおうし座で、新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分をひとつの生命体として見立てたとき、何をそこに対置させ、いかにして対していくべきか、鋭く問われていくことになりそうです。
震える弱いアンテナ
折に触れて紹介している茨城のり子さんの「汲む―Y・Yに」という詩は、先の金子みすゞの童謡と併せて、ぜひ思い返しておきたい作品と言えます。ここではその一部を引用しておきましょう。
「初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと…… 」
今週のキーワード
堕落と更生、何度でも生まれ変わっていくこと