さそり座
火の玉としての私
流れ星のみる夢
今週のさそり座は、夜空を落ちていく流れ星のごとし。あるいは、自分のことをきちんと見て、感じて、受け止めてくれる相手を求めていくような星回り。
落ちて、落ちて、落ちていくとき、あなたを受け止めてくれるのは誰ですか?
かつて誰かの手によって残された詩の中にも、そんなことを書いた一節がありました。それをまた別の誰かが心のいちばん深いところで受け止めることで、想いは繋がれ、誰かが必死に生きた痕跡が残されていく。
そこには誤解や行き違いもあるでしょう。言葉とは、そういうものだから。恐いのは、想いが風化して、忘れ去られてしまうこと。他人からも、自分からも。なかったことにされることほど、つらいことはないんです。
どんなに時間が経過しても、あなたのことを、ふと思い出しては、名前を口に出してくれる相手はいますか?
今はそんな相手の方へと、心を寄せていきましょう。
自由と憤怒
17世紀初頭、現在のチェコ西部にあたるボヘミアの山奥で生まれた、ひとりの靴職人の男が、自然の内奥に潜む神秘をその眼で垣間見たという。
わずか15分間に過ぎない体験がもとになって書かれた手記が、後世、世界中の人々に多大なるインパクトを与えたのだから、世界や人間の可能性というのはやはり分からないものです。
男の名はヤーコブ・ベーメ。ヘーゲルは彼のことを「ドイツの最初の哲学者」とまで呼んでいます。
ベーメの言葉は非常に荒削りでありながら、奈落の底からこの世を見上げていくような、原初的な想像力に満ちています。例えば、
「火は自然の中心にあって、点火される以前には闇の世界をもたらすが、点火されると、それ自身が光の世界になる。」
ここでは、「火」が人間に自由と憤怒という相反するものをもたらす「業(カルマ)」のようなものとして表わされているのですが、それは先ほどの流れ星にもどこか通じるものがあるように思います。
ベーメではないですが、脳裏に焼きついた言葉や感触、今週はそういうものをこそ追っていくといいでしょう。
今週のキーワード
落ちて、落ちて、落ちていく