さそり座
老いと魂
だんだん魂が見えてくる
今週のさそり座は、「秋燕や高齢にして見ゆるもの」(宇佐美魚目)という句のごとし。あるいは、これまでの自分には見えていなかったものを見ていこうとするような星回り。
「秋燕(しゅうえん)」は秋に南の国に帰っていく燕のことをいい、これは目に見える時の移り変わりそのものでもあります。
いつまでも若くありたいという願いは、一般的には今や誰しもが抱えている共通の願いであるかのように考えられていますが、少なくとも極東の日本においてはこうした発想は近代以降に生まれたもの。
かつては老人は老人らしくありたいと思われたものですし、若い人には見えないものをそこで観ようとした訳です。
その意味で、掲句に詠まれているような「老い(オールド)」という観念は、「加齢(エイジング)」とは切り離して考えてみる必要があります。
oldはそれ自体非常に古い言葉で、インド=ヨーロッパ語の「養う」に由来しており、現に古い家や古い友人にはそこに積み重ねられた愛着によって、より強烈で明白な特徴、すなわち魂が宿っています。
つまり、「老い」と「魂」は切っても切り離せない関係にあり、多くの言葉にならない想いは齢を重ねていくなかで、ひとつの形象を取っていくようになる。そうした魂の感覚なくしては「老い」は理解できないのです。
14日(月)にさそり座から数えて「習慣」や「繰り返されるルーティン」を意味する6番目のおひつじ座で満月を迎えるところから始まる今週は、あなたが今の生活の中で日々何を養い、どんな魂を見ようとしているのかが明確になってきやすいタイミングと言えるでしょう。
トンネルをくぐる
人間は「我」を消滅させまいとして、さまざまなことを行います。アンチエイジング美容にお金をかける人もいれば、銅像を建てる人もいる。本を遺す人もいるし、名を残すために善行を積んだり、逆に悪名を轟かす人もいるわけですが、そろいもそろって消滅することを恐れている訳です。
死ぬということは決してそう厭なばかりではないけれど、自分の消滅ということはみんな嫌なんです。
ただ、それが嫌というだけで生きていると、今度は自分が生きているうちにすべきものが見えなくなっていく。これもまた、緩慢な消滅と言うべきでしょう。
「老い」というの契機もまた、生きているうちにすべきことを明確にするために必ずくぐり抜けてていくべきトンネルのようなものなのかもしれません。
自分が生きているところの魂をはっきりと認識していくための通過儀礼であり、だとすれば、やはりその道は往くも還るもただひとりでゆくべき道なのだとも言えます。
今週は、何かしら身辺整理をするつもりで過ごしていくといいでしょう。
今週のキーワード
いきみたま