いて座
流れを待つ
何を待つべきか、それが問題だ
今週のいて座は、「鮓押て待つ事ありや二三日」(嘯山)という句のごとし。あるいは、私ははたして何を待っているのか、と自らへ問いかけていくような星回り。
嘯山(しょうざん)は江戸時代の人。かつて鮓(すし)と言えば、米飯と塩と魚の身を重ねて発酵させる熟れ鮨(なれずし)が主流で、酢飯で握る早ずし(江戸前寿司)とはまったく異なるものでした。
発酵させる際に、重しをのせるのですが、これが「鮓押し」。掲句でも鮓を押して、もちろん熟成してこなれてくるのを待っていますが、そこをあえて「何を待っているんだろうか」と謎かけをしてみせているところに、独特のユーモアが醸されています。
待つと言っても、ほんの「二三日」な訳ですが、作者が本当に待っているものは、鮓の熟成などではなくて、もっと別のことなのでしょうね。
私たちは得てして手段と目的が転倒してしまうものですが、そのことはもちろん作者も承知の上。じつに人間臭い一句です。
今週のあなたもまた目的と手段を転倒させつつ、没頭できるだけの手段を見つけていくことになっていくでしょう。
「うかれ出づる心」が告げる
人生には、「流れ(flow)に運ばれる」タイミングというものがあります。それは自分を包みこむなにか大きな力にゆったりと身を任せながら、地面から浮遊していくような不思議な感触を心に残します。
平安末期に生きた日本を代表する歌人・西行には、まさにそんな“フロー体験”としか思えない心理を次のように歌にしています。
「うかれ出づる心は身にもかなはねば いかなりとてもいかにかはせむ」
感動して浮揚するたましいは、あまりにも感情が高まっているため、ついには自分の身体からも出ていってしまい、もはや自分自身ではどうにもこうにもコントロールできかねないぞ、とそんな意味でしょうか。
汝自身を知るためには、一度自分を見失い、そしてうかれ出ていったたましいにつき従って、その行く先を見定めるための旅が必要なのかもしれません。いずれにせよ、もし一度心が動いたならば、いよいよその時が来たのだと知るべきでしょう。
今週のキーワード
待つことと流れにのることは表裏の関係