いて座
虚構を用いる
文明的な理屈を捨てて
今週のいて座は、『春の野ぞブーメランミサイルはなきか』(矢島渚男)という句のごとし。あるいは、「泥まみれ上等だよ」とうそぶいていくような星回り。
「ウクライナ前後」と題された50句のうちの一句。「ブーメランミサイル」というのは、自分が撃てば自分に戻ってくるミサイルということでしょう。
戦争へ踏み込んでいった当事者たちへの痛烈な皮肉や風刺をきかせたブラックユーモア的な一句ですが、読みようによっては、ちょっとやそっとの批判や弾圧にビクビクしてないで、もっと堂々と発言したり、のびのびと行動していこうではないかという同胞への呼びかけ文のようにも思えます。
特に冒頭の「春の野ぞ」という語感には、冬の冷たさや厳しさがじわじわと溶けだし、光り輝いている春の野に、今にも駆け出していかんとするような勢いが感じられます。
どっちが先に手を出したか、合法的に罪が重いのはどちらかなんて文明的な理屈は、そんな春の原野では通用しません。泥まみれにしたりされたりしながらも、最後に立っていた方が勝ちなのであり、そもそも形式上の勝ち負けなどよりもよっぽどその泥試合で熱を高めていくことの方が大事なのではないでしょうか。
29日にいて座から数えて「遊び」を意味する3番目のみずがめ座の半ばに太陽が達して立春を迎えていく今週のあなたもまた、そんな春の原野に積極的に立っていきたいところです。
遊びをせんとや生まれけむ
「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人」を意味するラテン語のことですが、オランダの歴史家ホイジンガは1930年代に発表された同名の著書のなかで、現代文明に対して「遊び」の精神を失った堕落状態として警鐘を鳴らしていました。
人類は「知恵ある人」を意味する「ホモ・サピエンス」とされる一方で、「社会的な動物」「理性をもつ動物」「政治的な動物」「道具をつくる動物」などさまざまに定義されてもきましたが、「まじめ」の権化であったナチズムへの批判を念頭に置きつつ、ホイジンガが「遊びは文化よりも古い」と喝破するのです。
まじめは技術編重主義とも言い換えることができますが、それはそのまま明治維新以降、富国強兵・殖産興業の号令のもとに突き進んできた日本という国の基本方針でもありました。
ホイジンガは文化というものは「遊び」だけでも「まじめ」だけでも生まれず、両者のバランスが取れたときに初めて育ってくるものであると述べましたが、それは日本人にとってどれだけ遊び上手になれるかこそが鍵なのだという課題を今もって鋭く突きつけているように思います。
今週のいて座においても、強すぎる現実にどれだけそれに相応しい「虚構性」を重ねていけるかがテーマとなっていくでしょう。
いて座の今週のキーワード
まじめをあそびに変えていく