うお座
よい気の巡る場所へ
「見ゆ」の発生条件
今週のうお座は、『駒ヶ岳秋の総体透けてみゆ』(飯田龍太)という句のごとし。あるいは、これまで遠くに感じていた存在がグッと身近に感じられていくような星回り。
作者は「山盧(さんろ)」と呼ばれる住居に代々暮らしてきた地元の名士で、白雲去来する甲斐の山中深くにある百戸ばかりの部落にあるという。また「駒ケ岳」とは甲斐駒ヶ岳のことで、南アルプスの北端に位置する峻厳な山容の名峰であり、古くから信仰の対象ともされてきました。
すなわち、掲句において作者は自分を取り巻く世界を一望しつつ、特に遠くからただその威容だけをなんとなく感じ取っていた自身にとっての神的存在を、不意に近しく感じたのではないでしょうか。
末尾の「みゆ(見ゆ)」は「見える」の古い形であり、自分から能動的に対象に働きかけたりあえてそうしなかったりを私の判断で遂行する「見る―見ない」とも異なり、おのずから見えてしまうということ、あるいは「見るという動作が、意志によらずに、自然の成行きとして成立する」(『岩波古語辞典』)ことを指すのだという。
この場合、そうした展開を成立させた条件は秋の澄んだ大気であり、それを世俗の淀んだ空気と隔絶できていたこと、さらに言えば、そうした環境に身を置くことで何ごとであれ小賢しく判断しようとする我が少なからず消えていったことが大きかったのでしょう。
12日にうお座から数えて「遠く」を意味する9番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、おのずと視界が遠くはるかな方へと開けていくはず。
山水画にあそぶ
五代(10世紀)や北宋(10~12世紀)の時代の最も古い段階の山水画には、いずれも大地からにょっきりと突き出た山や岩の塊が描かれていますが、山頂が妙に丸みを帯びていたり、遠くの山々が霞の中に消えていたり、そもそも飛行機ほどの高さから見下ろした構図であったりと、実際の光景というより観念で描かれたもの特有の特徴が見られます。
例えば、11世紀の郭煕(かくき)の描いた「早春図」もまた、山そのものを眠りから覚めてむっくりと起きあがろうとしている巨人として描いており、冬から春に向かう自然界の「気」が山を生みだしたイリュージョンとして解釈することができます。
山水画の鑑賞では、絵がいきいきとして感じられるとき「気韻(きいん)生動(せいどう)がある」などとも言いますが、そこには描いた画家が思い描いた理想の神霊や気の流れが、ひとつのレイアウトやデザインとして刻み付けられていた訳です。
彼らはそれをただ描いただけでなく、きっとそうした気の流れの中に何度となく身を置き、遊んでいくことで、自身の英気を養っていったのでしょう。そう、掲句の作者が句作を通じてそうしていたように。
今週のうお座もまた、疲弊させられる空気から脱して、そうしたよい気を養うための時間や空間をこそ大切にしていきたいところです。
うお座の今週のキーワード
「気韻生動がある」