うお座
呪縛の外へ
見えざる結界
今週のうお座は、「再帰的無能感」からの脱却の試み。あるいは、今一度自分を無能感から救う道筋を探っていこうとするような星回り。
イギリスの批評家マーク・フィッシャーは、現実のあらゆる面で勝ち負けがつけられ、それがあらゆる場所で、かつ、いついかなるタイミングにおいても煽られるようになった現代社会では、ほとんどの人が何らかの意味で負け組であり、したがって、傷ついていない人などまずいないのであり、その理不尽な状況に対して無関心ともシニシズムとも異なる感傷モードに陥ることを「再帰的無能感」と呼んでいました。
フィッシャーは厄介なことにそれが「広く染みわたる雰囲気のように、文化の生産だけでなく、教育と労働の規制をも条件づけながら、思考と行動を制約する見えざる結界として」働いているのだと指摘した上で、そこから脱け出す方法について、次のように述べています。
過去三十年にわたって、資本主義リアリズムは教育や保険制度を含む社会のすべてがビジネスとして経営されるのがごく自然なことだという「ビジネス・オントロジー」の確立に成功してきた。(中略)社会の開放を目指す政治はつねに「自然秩序(あたりまえ)」という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同時に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては「不可能」と呼ばれていたことをここで思い出してみよう。(『資本主義リアリズム』)
その意味で、7月7日にうお座から数えて「死と喪失」を意味する8番目の星座であるてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いま自分が「不可能」と思い込んでいることをこそ浮き彫りにしていくことで、“偶然”の脱却の第一歩を模索していきたいところです。
搾取の囲い
たとえば温又柔の長編小説『魯肉飯のさえずり』には、逃げるように結婚を選んだものの、夫に一つ一つ大切なものをふみにじられていった主人公が次のようなやり取りを繰り広げるシーンが出てきます。
「わたし、聖司さんにばっかり甘えてたくないの。もちろん聖司さん以上に稼ぐのは不可能だけど、わたしにもできることがきっとあると信じたい」と提案する主人公の桃嘉に対して、夫の聖司は「お金のことは気にするなよ」「奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。それに俺は、桃嘉に甘えられるのが嬉しいんだよ」と答えるのです。
しかし、それに対して「桃嘉は軽い絶望をおぼえる」。なぜなら、彼女が言いたかったことが夫の聖司にはまるで伝わっていないから。彼女は夫に自分へのケアを愁訴し、それでも彼の言動にそれが欠如していることに傷ついている訳ですが、それでもそういう夫の主観が形作る世界になびいてしまうのではなく、彼女なりにこうした脅威に抵抗することができています。つまり、彼女はこれまで抜け出すこと「不可能」だとどこかで思い込んできた囲いから、まさに一歩踏み出そうとしている訳です。
今週のうお座もまた、みずからが実現したい世界を象徴する原理を、何よりもまず自分自身が体現していけるかどうかが問われていくことでしょう。
うお座の今週のキーワード
必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていく