うお座
夢見の行
健全なる夜の機能
今週のうお座は、まぶたの大きさのマーヤーのヴェールのごとし。あるいは、非合理で混沌とした宇宙的な意志へ、みずから加担していこうとするような星回り。
毎年訪れるうお座の季節というのは、明瞭な線や形態、構造を支える力、秩序ある全体のまとまりなど、昼の幾何学が軟化し、眠り込んでいく時期でもありますが、それは私たちの眼がどこまで重たく、非合理な睡眠への宇宙的な意志に加担するかにかかっています。
おそらく、私たちの眼が太陽の明るさや花々の鮮やかな彩りなどを覚えていればいるほど、夢の空間が神経の中心まで征服するのを許さないものであり、その結果、ただ間抜けで、うさんくさく、愚かしいものとなった昼の幾何学の残骸が視界に映るだけでしょう。
その代わり、現にこの文章を読んでいる両の眼を覆う、このまぶた、この境界幕を濃密な夜のものであると同時に、みずから光る1枚の銀幕だと想像してみるならば、眼はおのずから弛緩し、この世界の角(かど)や隅(すみ)を避け、申し分なく巻いた螺旋の滑らかさのままに丸く旋回しながら包み込もうとする宇宙的運動へと絡み取られていくはず。
眼の弛緩は手や足の指先の弛緩につながり、それとともに夢の空間もまた解き放たれ、不眠気味の濁った意識を精神の真夜中へと導く潮流へとすっかり飲み込んでいく。それでこそ、人をつくり直し、新しい1日の戸口に真新しく立たせる健全な夜の機能が、完全に作動するのです。
3月3日に自分自身の星座であるうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな宇宙的運動へとどれだけシンクロしていけるか、その結果、どれだけ鮮やかな夢をヴェールに映していけるかが問われていくでしょう。
従順体と野生体
フランスの思想家ミシェル・フーコーは、身体の「調教」を通じて、人間主体の奥深くにインダストリアル(勤勉=産業的)な精神を植えつけ、自発的かつ自動的に「役に立つ」人間であろうとするよう仕向ける近代特有の社会的文脈のことを「社会の軍事的な夢」と呼びました(『監獄の誕生』)。
つまり、外部から無理やりにではなく、「みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働きかけ(中略)自分みずからの服従の源泉になる」ように、身体が反応するよう「学校、工場、兵舎、病棟、刑務所、孤児院」などの諸施設や世間の空気を通じて仕向けられるのだと言うのです。
そうして出来上がる身体図式をここで仮に昼の幾何学への「従順体」と呼ぶとすれば、今週のうお座の人たちに根源的に与えられている課題は、いつの間にか縮減され、規格化し、抑圧された身の位相を、いま1度もとの柔軟でしなやかな「野生体(開放態)」へと戻していくことにあるのだと言えます。
その意味で、宇宙的な意志のもとに営まれる夢見とは、私たちが調教された身体図式から脱け出していくために取り組んでいるある種の「行(ぎょう)」にほかならず、今週は特に旺盛にそうした営みを試みていくことになりそうです。
うお座の今週のキーワード
夜の螺旋運動