うお座
全然変わる気ないよね、みんな
こちらは8月9日週の占いです。8月16日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
近代的枠組みを終わらせるということ
今週のうお座は、茨木のり子の「敵について」という詩のごとし。あるいは、受け入れられない変化転身を拒絶する意識の防衛機構を宙ずりにしていくような星回り。
私の敵はどこにいるの?//君の敵はそれです/君の敵はあれです/君の敵はまちがいなくこれです/ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのです
ああその答のさわやかさ 明快さ//あなたはまだわからないのですか/あなたはまだ本当の生活者じゃない/あなたは見れども見えずの口ですよ
あるいはそうかもしれない敵は……//敵は昔のように鎧かぶとで一騎/おどり出てくるものじゃない
と、ずっと続いていって、さらに「なまけもの/なまけもの/なまけもの/君は生涯敵に会えない/君は生涯生きることがない//いいえ私は探しているの 私の敵を//敵は探すものじゃない/ひしひしとぼくらを取りかこんでいるもの//いいえ私は待っているの 私の敵を//敵は待つものじゃない/日々にぼくらを浸すもの」ときて、最後にやっと
いいえ邂逅の瞬間がある!/私の爪も歯も耳も手足も髪も逆だって/敵! と叫ぶことのできる/私の敵! と叫ぶことのできる/ひとつの出会いがきっと ある
とくる。ここでやっと二項対立的な図式を脱け出して、感覚的に別の生き物になっている。つまり、もはや敵か味方かという近代人的な捉え方はなくなっていて、ただ共に進化していく水平的な関係を意識的に受け入れている状態がある訳です。
うお座から数えて「身体レベルでの調整」を意味する6番目のしし座で8月8月夜に新月が形成されたところから始まる今週のあなたもまた、「レッド・オーシャンで闘い続けなければならない」という近代的な前提から降りていけるかどうかが問われていくでしょう。
エミリー・ディキンスンの613番の詩
「みんなは わたしを散文に閉じ込めた」から始まるこの詩は、それ自体が19世紀アメリカにおける男性中心の、非常に因習的なピューリタン社会に対するディキンスンの果敢な告発であり、また自分の内なる声に素直に従うことを決意した意志表明の詩でもありました。先の続きを引用しましょう。
子どものころにわたしを
納戸に閉じ込めたように
「おとなしくしていなさい」
おとなしくですって! もしあの人たちが
わたしの頭のなかをのぞいたら
目まぐるしく回るさまを見て、小鳥を籠に
閉じ込めるように むずかしいと知るでしょう
小鳥はその気になれば、風のように
軽やかに 籠をのがれ出て
ほら 自由よ と晴れやかに笑うでしょう
わたしも 小鳥と同じ
今週のうお座もまた、さながらディキンスンのように小鳥へとなり代わって、狭い思考領域や硬直した思考習慣の‟外”へと、身をもって飛び出していくことがテーマとなっていきそうです。
うお座の今週のキーワード
「籠」からの逃亡を企てる